#1 『TOHO WAR』 02

■円筒状結界前
「こんなのが目の前に立っていると流石に冷えて辛いわね。ちょっと、甘酒をつくってくれないかしら?」
「何をのんきなことを。紫様。状況は依然、こちらに不利なのですよ。我々もこのまま座している場合では、」
「あら。既に天王山は超えた。勝敗は決した。私達の勝利に揺るぎはないのだけれども」
「そんなことはないでしょう。守矢の一行はまだ伊吹萃香の確保に動き始めたばかり」
萃香? ああ、もう必要ないわ」

「――は?」

「切札を投じた以上、私はもう必要ないと云ったのよ」
 紫の言葉を、その意を理解するのに藍は数瞬を要した。「紫様の仰る切札とはつまり、守矢の面々ですか?」
「そう。確かに萃香を確保できればそれで事足りるのだけれど、捜索に割く手間を考慮するとどうしても数手出遅れてしまう。だから守矢神社に行って貰ったのよ」背後にスキマを開き、玉座さながらに紫が腰をかける。幻想郷とともに生き育んできた大妖怪が式神を見据える。「貴女に、ね」

「宣戦布告とは当事国に対し戦意があることを宣言すること。私に対して『戦争』を告げたのは貴女だった。本来、宣戦布告同時攻撃は宣戦布告の意味を成さないのだけれど、博麗の巫女の出動と難攻不落が装われた結界に対する攻略の機転が貴女の予想を上回った誤算といったところかしら」

「紫様。貴女は、何を」

「――ところで目覚めてから橙の姿を見かけないのだけれど、やっぱりあの中かしら?」
「橙なら炬燵の中で転寝しておりますが?」
「……私みたいに起こさないの?」
「!? 冬の寒さに身を縮めている猫を引きずり出せとっ!? 鬼! 悪魔! スキマ!」
「……納得いかないわね」

 尚も年増、少女臭とさんざん喚き散らす式神を無視して、紫はスキマに手を入れた。「あら。ほんとに炬燵の中で丸くなってるわね」八雲邸の電気炬燵(コードの先端はスキマで外世界のコンセントに接続)から式の式を胸の中におさめた。「うふふ。ああ温かい」
「ゆかり、さま……? あれ、どうして?」
 常春の楽園、真冬の猫の桃源郷からいきなり厳寒の屋外へと連れてこられ、更には冬篭りの最中である筈の紫に抱きしめられて寝ぼけ眼の橙は混乱する。

「あぁっ!? 紫様なんという酷い事を! えぇい、橙を抱きしめるなら私に代わりなさいっ」

 我を取り乱した藍の叫びに、「らんさま?」橙は顔を向け――瞬間、紫の腕の中で威嚇体勢に構えた。「貴様、何者だっ」尻尾を逆立たせ咆哮(さけ)ぶ。
「橙? お前まで、いったい」
 完全に敵を睨み据える眼光を橙から放たれ、藍が困惑する。

 紫は云う。

「貴女は体格、人格、記憶、状態、そのどれもが八雲藍と同一だった。それは認めましょう。本人から直接それらを読み取って『複写』したのでしょうから。だけどその一方では決定的に藍とは違う箇所があった。『心理』。あの子はね、冬眠中の私をあんな優しい声色で起こしたりはしない。叩いて、殴りつけて、蹴り飛ばしてでも私を目覚めさせようとするだろうし、『殴れ』と命じられたなら私が云い終えるのも待たずボディに悶絶するような一撃をお見舞いしてくれるでしょう。――なんだか云ってて腹が立ってきたわね」

「貴様、藍様をどうした!」

 藍は大いに動揺する。

「貴女の正体は『雲』。藍に成りすましたその技術は確かに素晴らしいものだわ。私か橙でなければ違和感に気がつかないぐらいに擬態の完成度が高い。でも、それが欠点でもあったのね。オリジナルと同一の行動パターンしか刻めず、ユーザーが自在に制御することが出来ない。せいぜい対象物の身近の人物と摩り替えての監視役ぐらいにしか役に立たない」

「藍様を返せ!」

 八雲紫は、八雲藍の目を見据える。式神を通じ、式神と通じている者を見据える。「嫦娥。貴女の敗因はね、幻想郷全土を敵に廻して居乍ら、私しか見ていないこと」



 「三人いれば派閥がうまれる」

  「二人いれば闘争がはじまる」

   「ずっと一人だった貴女には、人妖(ヒト)の心が解らない」



「藍様!」

「紫様、橙、私は、」

「ほら」紫は藍を見据えたまま、彼女の背後を指さした。「そうやって今も私しか見ていないから、容易に背後を取られる。私達の藍に」

「藍様!」

 橙が歓喜と安堵の声を上げた。藍が背後に顔を向けるのと、背後にいた本物(手負い)の藍が贋物の首を手刀で跳ね飛ばしたのはほぼ同時であった。「私の姿で、私の主と私の式の前に立つな。名を呼ぶな。不愉快だ」頭部を喪った身体が、膝から落ちる。次には流砂の如く崩れ、散らばり、明滅する火花が――藍を巻き添えに爆散(粉塵爆発)する。これを浴びるのは本日二度目だ。

「藍様!」

 土煙が嘶く。爆風が凪ぐのを待たず「フン」、泥と汗と、ぼろ雑巾のようになった服と、血の滲んだ身体で、それでも確りとした足取りで、堂々と、主人と式の待つ場所へと歩み寄る。幻想郷きっての大妖怪の式神。ならば例え肋骨(あばら)が折れていようと、例え膝が砕けていようとも、無様な姿など晒せるわけがない。「遅れて申し訳ございません紫様。ご無事でしたか」主人の前で九尾の妖狐が跪く。

「藍様!」

 紫の手から跳び出し、橙が首に抱きついた。う、やべ。はなぢ出そう。愛猫を抱き寄せつつさり気に木綿の下着に包まれた尻とか撫でくりまわしてひゃっほぅ!

「お立ちなさい藍。このままでは寒くて凍えてしまうわ。甘酒を用意してもらえないかしら」

 す、と包帯を巻いた紫の右手がさしのべられる。それはあの時、円筒状結界の強行偵察に緊急出動して不用意に接近しすぎた為に『雲』の鎖に捕縛され、抵抗するも身動きの取れずにいた藍にさしのべられ、痛手を負った右手だ。『雲』からの拒絶を受けても尚、鎖を掴んでしつこく放そうとしなかった右手だ。閉じ行くスキマに吸い込まれていくその最後まで、血の糸を幾重にも絡ませたまま伸ばされていた手だ。
 その手が、今ここに。

「はい。只今――と云うとでも思いましたかっ!?」

 さしだされた愛おしい右手から視線を外すのを惜しみつつも顔を上げ、立ち上がるや藍はキッと険しい表情で紫の胸倉に掴みかかった。

「私が結界に捕まっていることを承知で寒冷低気圧の陣を敷くとはどういう了見ですかごるぁっ。私を殺す気ですかっ」
「だって仕方がないじゃないっ、他に方法が無かったんだからっ。それに貴女キツネでしょっ、日本最強の妖獣、妖狐なんでしょっ。寒くても平気なんでしょっ」
「耐寒耐性にも限度ってモノがあるわっ。おまけに冬の寒さに身を縮めている橙を炬燵から引きずり出すとはっ! 鬼! 悪魔! スキマ!」
「やめて! 顔はぶたないで! 私、少女なのよっ」
「齢千を越えた少女がいるかぁっ」
「藍様藍様っ。陣中でござる陣中でござるぅっ」

 「八雲」の日常が戻った。



■東京・内海(東京湾
 二十m規模の屋形船『天和(テンホー)弐式(英名:Heavenly Hand)』。これはその名の示す通り、天和二年(一六八二年)の大船禁止令により衰退した隅田川の屋形船が幻想入りしたものである。外観は修繕こそされているもののほぼ江戸時代に使われていた「なり」を維持しているが、内部は河城にとりによって尽く弄くられ、外来のものと同様に操舵・調理空間に最新の技術が導入されている。今回の任務遂行に必要とされ、四季映姫の権限で投入された装備品の一つである。畳敷の客用空間には同様に弦を張られた竹製の大弓と矢、そして大量のカップ麺がダンボール製の輸送ケース単位で積み上げられている。これは外部の閻魔達が差し入れとして、これまた大量のペットボトルの飲料水とともに提供してきたものである。
「映姫様。なんであたいら海の上で東京(おか)を眺め乍らカップ麺を啜っているんですかね」
「昔の人は云いました。腹が減っては戦は出来ぬと。いいですか小町。冬の海ではお弁当など凍りついてしまって到底食べられるものではありません。愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ。覚えておきなさい」
「あー……その、ですね。厨房にはちゃんとレンジも積まれているんですけど。ほら、チンして温める機械が」
「――――。」
「もしかして食べたかったんですか? えーき様。カップ麺」


 ずるずるもそもそと咀嚼する音が響くだけの気まずい沈黙が続いていると思いねえ。


「このカップ麺はですねっ、首都機能を失って混乱状態にある日本各地の閻魔達が、自分達も激務続きで大変だというのにわざわざ我々のために自腹を切って提供してくれたものなのですよっ」
「はあ。それは有難いとは、あたいも思いますけどね。なんだってこんなに、大量に」
「それだけ我々の双肩に期待がかかっているということです。何せ平将門の怨霊へと正面から挑む閻魔など前代未聞ですから」
「――あの噂話、まるきりの出鱈目じゃなかったんですかね」
「将門を裁こうとした当時の閻魔を開きにして三途の川を逆流し、再び此岸(顕界)に舞い戻って地上に呪詛を降り注いだという――いくらか誇張はあるでしょうが、概ねその通りです」

 縮れ麺(醤油味)を兎(ウサちゃん)のフォークに絡ませ、勢い良く頬張る。

「だからなんだと云うのですか。怨霊だ、祟りだと恐れていてはこの役目(閻魔)は務まりません。白は『白』。黒は『黒』。白黒ははっきりとつけるべきです。私の見立てでは平将門は『黒』。真っ黒もいいところです。――! いよいよ動き出しましたね」

 東京の空を自由気侭に緩慢と漂っていた雲が何者かの指揮に入ったが如く、突然きびきびと活発化を見せ始める。

「狼煙雲。――『ultima ratio(いくさ)』と書いてありますね」
「怨霊を祟り神として支配地の霊的基盤としたのが『黒』ならば、此度戦争の道具として扱うのも『黒』。腹立たしいですね。私の裁きも月となると管轄外です」
「敵は月だと?」
真昼の月が出ているでしょう。ならば攻め入ってきたのは月。自明の理です」
「はあ」
 スープを飲み干し、幻想郷の閻魔(ヤマザナドゥ)は湯気混じりの白い息を吐いた。「あの白い月は疑うべくもなく『黒』。わかりませんか?」
「すみません。わかりません。というかですね、あたいにも解るよう、説明をしていただけると、」
 頭を掻き乍ら『あたい落第生』といった表情で小町は首から上をへこへこと上下させる。
 映姫は溜息をついた。

 説明も何も、見たままだ。

 盲人に空の青さを説明するのは難しい。ひどく難しい。しかし目明きに空を指さし、あれが空の青さだよと云えば、普通はそれで通じるだろう。普通はそれですんなりと理解するものだろう。
 百聞は一見にしかず。一見は百聞にしかず。一目見て理解できないようであれば、これはもう、百の言葉を以て叩き込むしかない。
「わかりました。私の識り得る限りの言葉を駆使して説明しましょう。小町。正座を。特別に講義の時間です」

 千の言葉がいいか、万の言葉がいいか。よし、ならば那由他を越えて、不可思議の果てまで語り尽すまでだ。

「月が敵ですね! あたいにもわかりました! 解りましたから講義(お説教)は結構です」
「――その言葉。本心から云っていますか?」

「ご覧ください四季様。此岸(現世)の奴らが攻撃を開始しました。目標は『東京全域』。あいつら加減てものをしらない。とことん遣り尽くす気のようだ」

「誤魔化しましたね。――まあいいでしょう。小町。用意を」
「あたいはいつでも。四季様は?」
 熊さんフォークを置いて愛用の鎌に手を伸ばす小町の鼻先に、す、と封を切られたばかりのカップ麺(カレー味)がさしだされた。
「荒ぶる御霊がまだ出廷していません。開廷はまだ。裁くのは我々ですが、出番はまだです。小町。お湯の用意をお願いします」



■東京・霞ヶ関
「よく見つけたわね咲夜。外の世界の紅魔館」
「まあ赤いですから」

 官公庁の集積地。霞ヶ関一丁目にある中央合同庁舎第六号館・通称“赤煉瓦棟”――法務省旧本館の前に、レミリア・スカーレット十六夜咲夜が佇んでいる。メイド長の見つけた建築物を、お嬢様は大層お気に召されたようである。

魔理沙にはああ云ったけれど、こんな建物が用意されているのならここ(東京)を避陽地にするのも悪くないかも」
「ですがお嬢様。景観はあまり……」
「そうなのよね。背の高い建物がこの館をぐるりと囲んでるから、まるで見下ろされているようなのが気に食わないわね。だけど咲夜、ものは考えようよ。フランが遊んでもいいオブジェだと思えばいいの」
「まあ妹様なら喜んで崩してくださるでしょう。それとお嬢様。もう一つ問題があります」
「なによ。まだあるわけ?」
 日傘の下でプーっと膨れるレミリアに対し咲夜は北西――永田町方面を指で示した。「パチュリー様が深い関心を寄せられていた国立国会図書館とは、距離が少し離れておりますね」
「う。それはなんか嫌(や)だ」

 一喜一憂。喜怒哀楽を隠そうともせずころころと表情を変えるレミリアに、メイド長は後ろ手で小さくガッツポーズをしーの、時間を停めて鑑賞しーの、にまにましーの、鼻血だしーの拭きーのとちょっとは自重してください。

「私が此処を気に入った以上はきっとパチェも図書館を気に入ると思うのよね。この『東京紅魔館』内に蔵書を搬入するのは違うだろうし、『東京大図書館』を紅く塗ればいいという問題でもない。問題は距離、距離、距離――ねぇ咲夜。『距離を操る程度の能力』の持ち主とかに心当たりはない?」
「はあ。確か三途の川の渡し守がそうだったかと」
「それよ! そいつを此処の門番に雇い入れるっていうのはどう、咲夜? うん、我ながらナイスアイデア
「でもお嬢様。あの者は仕事をしないことでも有名な死神ですよ?」
「仕事をしない? それはますます門番向きの人材ってことじゃないの。気に入ったわ。咲夜。明日にでも早速スカウトするわよ」
「私は気に入りません(主に胸)。仕事をしない門番は、うち(私)の門番だけで結構です」

 つん、とそっぽを向く。たとえお嬢様の命令といえども、こればかりは従えない胸。

「なによ。咲夜は私の云うことがきけないっていうわけ?」
「凄んでも駄目です。あの死神の上司はあの閻魔ですよ。お嬢様、あれと交渉するということは即ち、無限の説教地獄の幕開けでもあるわけです」
「う”」
 咲夜の迫力にレミリアが怯んだ。「それは嫌。もっと嫌。正座もお説教も罰策もイヤ!」
「そういうわけですので諦めてくださいませ」
「――咲夜。世の中ままならないわね」
「ままなりませんね(胸)」

「よお。コントはもうおしまいか?」
 頃合いとばかりに、箒に跨った魔法使いが博麗の巫女と共に舞い降りてきた。
「また会ったわね。コントじゃないわよ。こっちは真剣なんだから」
「真剣にコントをやってたんだろう? ここら辺りが中央か、ん?」
「それより見なさい二人とも! どう? 東京の紅魔館! 咲夜が見つけたの」
 さっそく自慢するレミリアに、ぽつりと霊夢が呟いた。「気に食わないわね」咲夜が気分を害する。
「あら。煉瓦色の褪せた赤が気に食わないなら、巫女の血で鮮やかな赤に染め直しても宜しいのだけれど?」
「べつにこの屋敷のことを云ってるんじゃないわよ。異変だと出張ってきたのに敵対者と遭遇しない。なのに、此処に来てからずっと違和感が続いている」
「違和感?」
 今にも、というかいつの間にかナイフを構えていた咲夜の剣呑さを気にも留めずに霊夢が云う。

「今頃になってその正体にようやく思い当たったわ。誰かに見られている。ずっと監視されているって。気配は微塵もないのに視線だけは感じ続けている。それが違和感の正体よ」

「なあお前らもなんか云ってくれよ。霊夢の奴、さっきからずっとこんな調子なんだぜ」
 肩をすくめ乍ら魔理沙がぼやく。
「視線、ねえ? 自意識過剰?」と咲夜は返し、
「天狗に千里眼の犬コロがいたじゃない。それじゃないの?」とレミリアが首をかしげる
「哨戒天狗に睨まれる憶えも恨まれる憶えもないわよ(たぶん)。この視線の主は微塵も敵意を隠そうともしていない。それで、私達がどう反応するのかを視て愉しんでいる素振りすらある。……気に喰わないわね」
「――ねえ霊夢。貴女いま『どう反応するのかを視て愉しんでいる』って云ったわよね」
「云ったわよ。なにレミリア。そいつに心当たりがあるの!?」
 イラつきは頂点を目指し、今にも噛みついてこんばかりの脇巫女にレミリアは云った。「心当たりも何も。それってスキマ妖怪のことじゃないの」
「紫ね。それなら違うわ。だってアイツ、いつもこの時期は冬眠してて春先まで姿を現さないじゃない」
「でしたらお嬢様。これはスキマ妖怪に似た、何かですね」咲夜が云い、
「うわ。それは物凄くタチが悪そうだぜ」魔理沙が呟いた。

 しかし、これをきっかけに「いかにスキマがタチが悪いか」「いやいやそれしきのスキマ体験など、私の体験談に比べればまだまだぬるぽ」「猫ってヒゲ切ったら巧く隙間を通れなくなるだろ? アイツが寝ている間にヒゲを剃っちまえばいいんじゃね?」「シモネタ禁止!」等々、具体的な内容はここでは明かさないが、四人のお喋りは徐々にヒートアップしていった。余程、日頃の鬱憤が溜まっていたとみえる。

 いやあ。愛されているなあ、ゆかりん

「剃るも剃らぬも、もしも日頃からつるんつるんにしててスキマ力をセーブさせていたらどうします? 今でも手がつけられないぐらいの『スキマぱぅわー!』なのに、お手入れに手を抜いてジャングル妖怪になったら、もう誰にもとめられなくなるわ」
 このメイド長、いったい何処のどんな状態を力説しているというのか。

 だがしかし。乙女の秘密ちっくなアンダーゾーンの会話はここまでだ。此処より先は、洒落にならんからな。
 そう云って(云ってない)四人の頭上、遥かな天上で何かが炸裂した。そう、異変だ。

 雲が文字を列する。守矢が戦争を訴えかける。

 しばらくして西側に新たな文字が刻まれた。雲底をスクリーンに、地上から伸びたライトライン。光はうねりくねり、即座に達筆な文章に生まれ変わる。
 ALAS(災厄が来た)、ALASと繰り返す。新約聖書。黙示録である。『大淫婦バビロン(ローマ帝国)は誰なのか?』

「あれはパチュリーね」西方の空を見上げ乍らレミリアが呟いた。「駄目よパチェ、闇の眷属同士の会話じゃあるまいしそんな遠回しな表現では通じないわ」

 かなりの間を置いて、雲が返す。『Who are you?』

『Patcho パチュリー・ノーレッジ。紅魔館の魔法使い。そちらは守矢神社の神様達でいいのね?』
『yes』
『いま立川で足止めを食らっているの。だからこんな形式で失礼するわ。幻想郷で戦争が起きているのね?』
『yes』
『この結界で閉ざされた東京は敵の仕業?』
『yes』
『現在、幻想郷はどうなっているの?』
『Hakurei-Def “F5 Attack”』
『博麗――大結界ね。御免なさい、後ろの概念は判らないわ』
『Blockbreak → ing』
『現在進行形で大結界が攻撃を受けている?』

「まだるっこしいわね」言うが早いか霊夢が飛び立つ。天上へ。「行くわよ魔理沙。このままぽかんと大口を開けて空を眺めているより、直接会って問い質した方が早いわ」
「おう、行くぜ。レミリア達はどうするんだ?」
「行くわ。何やら面白そうなことになってるみたいだしね。咲夜、貴女も来なさい」「はい畏まりましたお嬢様」



■東京・天上
 早苗がかなり危うい英語でパチュリーとたどたどしく交信(コンタクト)していると、霊夢を先頭にして四つの点が人形を取りつつ急速接近してきた。「ドロワね」「ドロワだぜ」

霊夢さん! 神奈子様、諏訪子様っ、釣れた、釣れましたよ! 大漁ですっ」「これまた吸血鬼とは大物だね」「外道だけどね」

「誰が外道ですって?」
「ああ、お前さんは釣りを嗜まないのか。外道というのはね、目的魚とは違う獲物を釣れたことを指しているのさ。気を悪くしたならすまんが、我々の目的は吸血鬼ではなく、鬼なのさ」

 レミリアと神奈子が対峙し、軽く牽制しあうのを無視して霊夢は早苗に詰め寄った。「挨拶は抜きでいいわね。一体何が起きているのか、知っていることを洗いざらい吐け」有無を云わせぬ圧倒的な迫力。唯そこに佇(い)るだけで強さの格が、存在の立ち位置がまるで違うと訴えている。

 信仰(群れ)に依存する現代っ子ひ弱な現人神と、空洞(うつほ。空きっ腹)の賽銭箱(乳飲み子)を抱えた博麗の巫女(乳なし脇だし)。

 所詮はビニールハウスの美味しい果実が、野生の王国の花一輪に敵う訳がないのだ。ないのだ。

「白状しますから、命ばかりはっ」「何の話よ」



 ☆ ☆ ☆



「実は――」「おっと待った。どうせならパチュリーにも聞かせてやってくれ。そっちの方が手間もかからないぜ?」
 呟き、魔理沙はエプロンのポケットから携帯式送受信通話機(マジカル☆トランシーバー)を取り出した。外の世界のストレート式携帯電話に酷似しているが、基地局を必要とせず、所有者の音声を魔力に置き換え、これを無線信号に変換して端末同士で他方向通信を行う機器である。端末毎に四桁の数字が割り当てられており、魔理沙の識別番号(シリアルナンバー)は「0001」、パチュリーは「0002」である。ドットの粗いモノクロのディスプレイには識別番号と保有者の登録名、それに通信状態が表示されている。製作者である河城にとりの「0000」端末(ポケコンスタイル)に予め登録されている識別番号端末としか通信できないデメリットはあるが、魔力の続く限り事実上バッテリー切れを起こすことはありえない。電話ではないので基本料も通話料もかからない。
 幻想入りした野戦電話から着想を得てにとりが作ったものの、魔理沙に「話があるなら、私ならひとっ飛びで会いに行くぜ」と云われ、それもそうだよねーと河童が落ち込んだのも今となってはいい思い出。貰ったその日からポケットに入れっ放しになっていた秘密道具の晴れの舞台である。

 早速「0002:は°ちぇ」を呼び出そうとし――た魔理沙の腕を、がっしと鷲掴んだのは早苗さんである。

「なんですかそれ、なんで魔理沙さんがケータイなんて持ってるんですかっ、というか私も欲しいです!」「ぬを!?」

 見た感じ旧式、PHS時代ぐらいの単純(シンプル)携帯電話に見えなくもない白黒模様(ゼブラカラー)のトランシーバーに目を輝かせる現代っ子

 飢えが強さの証明(あかし)だと云うのであれば。「今なら勝つる!」「だから何の話なのよ」

「おお、早苗が!」「『欲しがりません、勝つまでは!』と誓って、外の世界の物欲を捨てて幻想郷入りした早苗が!」

 神奈子と諏訪子、早苗の変貌に大いに驚き、且つ喜び泣いた。守矢再興を悲願として以来、我欲をひた隠しに隠し、こころを押し殺して二人の神様に仕えてきた娘が、今、素の感情を剥き出しにしていることが嬉しいのだ。

魔理沙。悪いがその道具、早苗に譲ってくれやしないかい? お願いだよ。礼はうんと弾むからさ」
 今なら自分達に仕えてくれている大切な唯一人の巫女のために、二柱の神々は土下座でも何でもするであろう。

「いや。こいつは私の魔力と同調しているんでな、他人には扱えやしないんだ。あーでもにとりに云えば、あいつのことだからきっと喜んで貰(く)れると思うぜ? 三人分」

 ちなみに霊夢は「いらない」の一言で河童を返り討ちにし、萃香は「そんなのより酒呑も、酒!」と打ちのめした経緯がある。そんなわけで無線機を所有しているのは「0003:こあくま」「0004:ありす」「0005:もみし”」「0006:あややや(カメラ内臓の特注)」で頭打ちであったりする。『文々。(ぶんぶんまる)新聞』にも紹介記事を掲載してもらったことはあるのだが、生産した初期ロットはかなりの量が眠っている筈だ。

「神奈子様! 諏訪子様!」「みなまで云うな早苗」「わかってるよ!」

 二人の神々は肯きあい、天空に河童を呼ぶコールサインを打ち出した。『N・T・R』、『N・T・R』



■東京・秋葉原
 背中のバックに丸めた設計図を突き刺し、大通りの路上で白黒車両を改造して空も飛べるし赤色警光灯からマスパも撃てる『チキ・チキ・バン・バン魔理沙号』を組み立てていたにとりは、作業が一段落したところで遅めの昼食を自前の弁当で摂っていた。麦飯、胡瓜の味噌和え・胡瓜の浅漬け、胡瓜のサラダ・胡瓜の蜂蜜漬け、麩の味噌汁で構成されている重箱風ランチジャーを広げ『世界一栄養が無い野菜(ギネスブック認定)』に舌鼓を打っていると、おもむろに顔を上げて空を見上げる。

『N・T・R』、『N・T・R』

「もぐ……?」

 誰かに、呼ばれているような気がしたのだ。

「――寝(N)取(T)られ(R)?」

 腐っていた。弁当ではない。魔法瓶様式の弁当箱も、お弁当も、完璧だった。作った本人を除いては。
 きっとバッグの中身は夢と同人のお宝グッズでいっぱいになっているに違いない。
 って、ちげーよ家電製品だっていってんじゃねーかっ。



■東京・天上
「遅い!」×3

 早苗から説明を受けた霊夢魔理沙(と無線機越しにパチュリー)の、第一声が突っ込み(それ)だった。納得いかねえ。

「な、なんでですかっ!? この結界を無力化するには萃香さんの力を借りるのが最善手だって藍さんを通じて紫さんが、」
「それが遅いって云っているのよ。あの子のことだからあんた達が起こした雲の異変に首を突っ込んできてもおかしくないっていうのに、未だに姿を見せず雲隠れをしているってことは何処かの建物の中か地下の何処だかにいる可能性が高い。真っ当に捜してたんじゃ時間を浪費するだけで無駄よ」と霊夢が云い、
「私らもこっちに来てからすぐに萃香と逸れちまったんで、アイツの居場所は見当もつかない。だが結界をどうにかするっていうんだったらもっと確実な手段がある」と魔理沙が断言をし、
「確実な手段? 力尽くで結界を破壊するっていうんなら却下ですよ? 確かにごり押しで『穴』を開けられましたけれど、私達ができるのはその程度。完全に破壊するのには程遠く、完遂するまでに博麗大結界を乗っ取られるほうが早いでしょう」と早苗が抗弁をし、

『違うわ』喘息で乱れる息を整え、間を置いて無線機越しにパチュリーが告げる。『東京を破壊するのよ』

 早苗が、神々が息を呑んだ。それは彼女たちが最初に考え、即座に否定した案(プラン)と同じであった。但し、発想のレベルがまるで違う。

 霊夢は云う。「あんた達も知っていると思うけど、結界とは即ち『内と外を隔てる境界』。外側か、さもなくば内側のどちらかが消滅してしまえば意味をなくす。消滅するわ。だから結界の容物(なかみ)を粉砕する。跡形もなく。雲隠れしている萃香を捜すよりも、東京を破壊するほうが確実に早いわ」
「待った。お前さんたちは知らないだろうが、ここには数百年以上も前から祟り神が魔方陣で括られているんだ。東京を破壊したら、自然と奴が現れる。――これも敵の姦計の一つだろうけどね」
 苦々しげに神奈子が呟いた。

 時を隔て、現在でも畏怖の対象とされる平将門
 時を隔て、忘却の彼方に追い逐られた八坂神奈子洩矢諏訪子

 もろに正面から対峙しあえば。勝算はまるでない。

「そうか。だったら、敵とやらの斜め上を行くまでだぜ」
 魔理沙が叫んだ。
「どっちみち、もう遅いぜ。東の彼方――見えるだろう? 向日葵と篝火花が暴れている。既に幽香が暴れているんだ。あいつがどうやって敵のことを知ったかなんてどうでもいい、魔方陣を守り抜くためにお前ら幽香を止めてみるか? この街に傷一つつけることなく」
 胸の前で組んだ両腕。神奈子が拳を握り締めるのにもかまわず魔理沙は続けて云い放つ。
「私らは東京をぶっ壊す。神奈子達は祟り神とやらを潰してくれ。頼まれてくれるよな?」
「……。」
 視線を、意思をぶつけ合う魔理沙と神奈子。神と比較(くら)ぶれば人間など、なんと脆弱にして儚いものか。しかし魔理沙の双眸(まなざし)は決意を宿し、根性が居座り、度胸が居直っていた。秘策なし。奇策なし。無謀ともいえる。
 誰がそいつにのるものか。
「――――。」
「っ、返事を訊かせろ! 神奈子っ」

「諏訪子。早苗。胆(はら)を括るよ」ひどく静かに、軍神が戦鬨(とき)の声を挙げる。「平将門を討つ」

「神奈子様、それはっ」
「どっちみちそれしかないんだ。早苗、偽りの東京なんかくれちまえ。今の私らにはもっと大切なものがある」
「護るよ早苗。幻想郷を」
 帽子の唾を調節し乍ら諏訪子が云う。強がりを云い乍ら、嗤っていた。「あたしと神奈子がいて、早苗がいるんだ。どう転んでも負け戦になんかなるわけがない」
「でも諏訪子様。膝が震えて、」
「これは武者震いだようっ」
「これこれ早苗、あんまりケロちゃんを虐めるものではないよ。というわけで祟り神退治は神々(あたしら)が引き受けた。霧の字よ、卑しくも神の前で大言壮語を吐いたからにはくれぐれも失敗す(しくじ)るんじゃないよ」
「ぬかせ。――そういうわけでパチュリー。おっつけ助っ人を寄越すまで西部方面は任せたぜ」『わかったわ』

 無線を切る。やおら魔理沙が永遠に紅い幼き月に向き直る。「聞いての通りだ。私が何を頼みたいのか、解るよな?」
「云ってごらん。今日は気分が好いから話し次第では利いてやらないこともない」
「フランは何処に居る。お前の妹の力を借りたい。――どうせ連れて来ているんだろう」
「どうしてそう思うのかしら?」
「惚けるなよ。お前が居て、咲夜が居て、パチュリーが居る。紅魔館にフランが居るとしたら、誰がアイツを止められるんだ? 美鈴か? まさか。あいつじゃ無理だね。気が読めて優しすぎる」
「優しい? 門番が?」咲夜が嘲笑う。「強いものには弱いだけじゃないの。弱くて甘くて仕事中よく寝る。妹様を止めるのは確かに門番風情には無理ね」
「お前らもアイツの本当の実力(つよさ)を知っているだろう。なんたって門番を任せているぐらいだからな。甘いというが、その甘さがあるからこその紅魔館だろう? なにしろアイツが招かれざる来訪者(私ら)を職務に忠実、融通も利かせずに問答無用で撃退(シャットアウト)していたら、レミリアなんか退屈で死んじまうんじゃないか?」
「ズケズケとよくもまぁ云ってくれるわね。でもまあいいわ。フランなら門番と一緒に此処に来ているわ。でも残念。何処に居るか迄は判らないわよ」

 魔理沙が僅かに落胆すると、ポケットに仕舞い込んだ無線機から呼び出し音が鳴り響いた。

「誰だ? ってアリスか」ディスプレイで相手を確かめ、「どうしたアリス。悪いが今こっちは取り込んでて――」
魔理沙! あんたたち東京を壊すって本当なの!?』
「――話が早いな。パチュリーにでも聴いたのか」呟き、ふと疑問を抱く。「ところで何処に居るんだ?」
『有楽町の地下駅って云ったらわかる? それよりもさっきの話、なんとか先延ばしに出来ない?』
「それは無理な相談だぜ。というより外野が五月蝿いぜ。アリスのほかにも誰か居るのか?」
『あ、ごめん。魔理沙と話すって云ったらフランが私もお喋りしたいってきかなくって……ちょっと美鈴、もう少しフランを押さえててくれないかしら。これじゃまともに会話が出来な――』
「フランが其処に居るのか!?」
 驚いた。神の配剤か悪魔の仕業か、そういやどっちも知り合いに居るなと混乱しつつ、魔理沙は目線でレミリアに尋ねる。「お前の能力(仕業)か」と。『運命を操る程度の能力』の持ち主は日傘の下でほくそ笑むだけで真面目に応えようとはしなかった。
 この際どうでもいいことなので気にも留めない。「アリス。フランと代わってやってくれ。アイツに話があるんだ」『いいけど。……壊さないで使ってくれるかしら』
 おそらくはブルーとホワイトのツートンカラーの無線機(縞パン迷彩というと酷く怒る)を差し出して使い方を教えているのであろう的な間を置いて、フランドールの声が出た。『魔理沙、やっほー。こんなのでお話できるなんて不思議だねー?』
「声がでかい。鼓膜が破れるかと思ったぜ。ちょっと離れて喋ってくれ」
『美鈴、もうちょっと後ろに下がってだって。この機械、アリスのものだからアリスが持ってないと動かないんだって。いいなーわたしも欲しいなー。この機械があればお部屋に閉じこもっててもお喋りできるんだよね。今ね、わたし美鈴に後ろから持ち上げられてお話ししているのよ』
「お前が欲しがってるってこと、にとりに伝えとくぜ。きっと象が踏んでも壊れないぐらい頑丈なのを作ってくれる。……いやそんな話は今はどうでもいいんだ。フラン、力を貸してくれ。東京をぶっ壊す」
『んー、建物よりも生き物のほうが遊べるから面白いんだけどな』
「……。」
『でも魔理沙の頼みだから、そっちも手伝ってあげるね?』
「……そっちも?」

 訝む魔理沙。と、有楽町方面から豪快な破壊音がしたかと思うと、瓦礫を量産させつつ普段着に陽射し避けのスモッグ・コートを被った三体のフランドール・スカーレットが空中に飛び出してきた。きょろきょろと周囲を見回したのも一瞬で、目敏く魔理沙の姿を見つけるや高速で飛び込んでくる。
「やっほー魔理沙!」「おま…、スペルカード発動中か!?」

 禁忌「フォーオブアカインド」

「無抵抗な大っきいだけの建物なんか、スペルカードが使えなくたって平気でしょ? で、どれを壊せばいいの?」
「全部だ、全部。食い残しはなしだ。丁度良い、三方に散らばって一人はまだ立川――『穴』の辺りの場所に居るパチュリーの支援を頼む。他の二人は目についたものから手当たり次第にぶっ壊してくれ」
「はーい」
 衝撃波と弾幕をばら撒き乍ら破壊の申し子が縦横無尽に飛翔する。少女に毀せないものがあるとすれば、それは不壊の物質か不死者ぐらいのものであろう。

「それじゃ私もいっちょう暴れるとするか」
 颯爽と箒に跨り、ミニ八卦炉を掌に収めた魔法使いの背後に、呼び止めるでもなく霊夢が声を投げた。「魔理沙。そっちはあんた達に任せるから」
「なんだって?」
 思わず振り返る。霊夢は再度繰り返した。「私はパスするわ。東京の破壊も祟り神の調伏も手を出さない」
 霊夢の言動に思わず剣呑な形相で何か返そうとした魔理沙だが、巫女の眼差しに何を感じ取ったか破顔する。「おう、任されたぜ!」
 叫んだのも一瞬で、すぐに点となって火力の魔法使いは見えなくなっていた。

「珍しいじゃない。貴女が異変を前にして怖気づくだなんて」
 からかうような咲夜の口調に動じず、魔理沙の見えなくなった方向を見据えたまま霊夢は呟いた。
「おかしいと思わない? あの紫が、私や魔理沙でも思いつくような最良の手段を見逃していたなんて」
「単に寝ぼけていて調子が出ないだけでは? 今の時期にスキマ妖怪が活動しているなんて前代未聞のことでしょう」
「あんた完全に寝入っていた丑三つ時に叩き起こされたとして、レミリアが危険な目にあっていると知る。その時あんたは敵の排除に実力の半分も出せないわけ?」
「それは――ありえないわね」
 でしょう。と、霊夢は咲夜に向き直る。「紫(あいつ)にとって幻想郷は最愛の存在。我が子も同然と断言して良いわ。幻想郷(それ)が存亡の危機に立たされているというのに、実力の千分の一も出せないなんてどう考えてもありえない」
「……霊夢は随分とあのスキマ妖怪の実力を買っているようね」
 どことなく拗ねた様にレミリアが口を挟む。
「だって当然でしょう。私や魔理沙がせいぜい五手先、十手先しか読めないところをあいつや幽々子なんか平気で千手先は見透かすわ。パチュリーなら百手、調子が好い時でも精々五百手先ぐらいかしら。レミリア。『運命』とやらを操れる能力も加味して、あんたはいったい何手先を視ることができる?」
「む」
 可愛らしい八重歯を剥き出しにして、レミリアが詰まる。
 ここぞとばかりに霊夢は畳み掛けた。「この際だから云っておくわ。八雲紫西行寺幽々子。ついでに八意永琳。この三人にあって、あんたに決定的に欠けているもの。……なんだかわかる?」
「な、なによ。云ってみなさいよっ」
 真っ向から足りていないものがあると指摘され、悔しさで瞳が危険な色彩を帯びる。しかし激昂することは霊夢の言葉を認めるのも同然なのでこれも癪に障り――レミリアは歯をかちかちと鳴らし乍ら吼えるにとどまった。
 霊夢は、云った。

「腹黒さ、よ」

 一瞬、きょとん、とするレミリアだったが。唇許が緩んだかと思うや、唐突に噴き出し空中で身を捩り乍ら笑い転げた。
「そうよねえ、あいつらの腹黒さには確かに負けるわ。うん、認める。ああやっぱり霊夢は最高だわっ」
「そらよござんでしたね」
 レミリアの機嫌が良くなるにつれ、何故か咲夜の機嫌が悪くなったりする。なんだこの主従。
「おそらく紫は私達にも何か手札を隠している。敵の正体も、思惑も未だ見えない。何も解らないままどっちの掌の上で踊るのも癪だから、私は様子を見ることにしたのよ」
「スキマの思惑はともかく、敵の目的は幻想郷の崩壊では? 博麗大結界を狙っているのでしょう?」
「違うわね。これだけのテクノロジーを持っているのなら、幻想郷が狙いなら私だったら日本を沈没させる。その方がより確実でしょう。防ぎようがないし、私達にはお手上げだわ」
「うわ」
 この巫女アブねぇとばかりに咲夜が一歩後ずさる。
「はいはい立ち話はここまでよ」目尻の涙を拭き乍らレミリアは提案した。「地上に降りてお茶にするわ。咲夜、頼んだわよ」「はい。かしこまりました」
 二人に続いて地上に降り立とうとした霊夢だが、――愕然と天上を見上げた。

 立ち止まり、ようやく気がついた。
 目に見えていても目に留まらず、結果として見えていなかったものを今更に凝視する。「なんで、月が出ているのよ……っ」

 此処は結界の中だ。曇り空ぐらいには明るくとも、けして外の太陽の陽射しが届いているわけではない。ましてや残月が空に浮かんでいることなど、あるわけがない。

 ならば。あの月はなんだ。
 なんだ。ということはない。つまりは、それが、「――敵」の正体である。

 なんということもない。敵は初めから姿を晒していたのだ。正々と。堂々と。

 あまりにも単純明快すぎる結論に、霊夢はしばらくの間、呆然と釘付けになっていた。

「どうしろっていうのよ。あんなの」

 あまりにも巨大で、遠く、出鱈目な存在に。

「はあ。私もお茶にしよっと」

 あっさりと思考を放棄し、霊夢は紅魔館の主従を追って地上へと向かった。



■白玉楼
 季節を先取りした満開の桜。その中にあって、けして開花することのない西行妖。かつてフラワーマスターが果敢にも挑み、彼女に苦々しい屈辱を味合わせたことは未だ記憶に新しい。
 庭を見渡せる床の間に佇む西行寺幽々子。その目の前には碁盤がある。対座には座布団が敷かれているが、

 天元(中央)に一つ、本来は後手であるはずの白石を碁笥から取り出して配置する。
「冬眠から起こされた紫は狐の報告を受けて現状を把握する」

「征服欲の強い紅魔館は逸早く上京。それとも誰かの差金かしらね。幻想郷に残った主力となる手駒は守矢神社と永遠亭。前者を東京に対して、後者を月に対して活用する」

「東京――外来人が大勢いると目を輝かせて、人食い妖怪は喜んで飛び込んでいくでしょう。でも無人でお腹は膨れない」

「誰かお人よしが宵闇に食料を分け与えるかしら。そうなれば幼さのある子だから、きっとその者に懐いて行動を共にすることになるでしょうね」

萃香捜索の依頼を受けて上京した守矢は、中心で異変を起こす。それが元で先行していた博麗の巫女と魔法の森の魔法使いと接触を果たす」

「紫の計画を彼女達は一蹴するでしょう。それでは間に合わないと。短絡的に東京の破壊を決行する」

「否応なく守矢は魔方陣が解けて出現する祟り神と対峙する。そのとき、お人よしとルーミアは巻き込まれる。ルーミアはお人よしを庇って負傷する。――封印のリボンが外れるわね」

「それ自体はどうでもよいのだけれど、そのまま幻想郷に戻ってくると拙いのよね。紫の稚拙な計画に不信感を抱いた巫女は静観を決め込むだろうし、魔法使いは破壊活動に夢中で気がつかない可能性が高い。では紅魔館の吸血鬼が? 烏天狗が? まさか。不確定要素がありすぎる――ならばそのお人よしの役割を妖夢に担ってもらいましょう。リボンの封を戻すために」

「東京は壊滅。祟り神は退治される。かくして中身を喪った円筒結界は存在を維持できず、――そのままでは済まないでしょう。おそらく最後の決戦がある」

「私が出来るのはここまでよ。紫」

 碁笥から一つ、黒石を摘む。白石の隣に配した。

「わかっているでしょう。敵の狙いは幻想郷じゃない」

 その黒石はどれだけ離れていようとも。その白石の隣にあらねばならない。

「いなくなったら許さないんだからね」

 対座には座布団が敷かれているが、座すもののいない座布団の傍らに、紫の愛用する湯飲みが甘酒を注がれて置かれている。



■東京・霞ヶ関
 歩道に迫り出した円いテーブルに三つのカップ。茶器は此処の喫茶店の物を借用したコーヒーカップだが、湯気を立てている紅茶は咲夜が紅魔館で淹れて香霖堂から購入した魔法瓶で持参したものである。
レミリア。月が出ているわ」
 着地するなり傍で呟いた霊夢に、レミリアは意味ありげな視線を送った。「あら。ようやく気がついたの?」
「って、あんた知っててずっとすっ呆けてたんかい」
「まあね。それよりも霊夢も座りなさいよ。せっかくの紅茶が冷めてしまうわ」

 霊夢は薦められるまま、紅魔館のものよりも見てくれも居心地も悪い椅子にどっかと腰を落とす。

「淹れ立てを味わって頂けないのが残念ですが。店内にはケーキなどがありますが、安全性を考慮すると手をつけないほうが無難ですね。お茶菓子が欲しければ自己責任でお願いします」
「あんた達、随分と落ち着いているわね。敵が頭上に居座っているっていうのに。気にならないわけ?」
「敵、ね」
 紅魔館の主人とメイド長は互いに目配せをする。揃ってほくそ笑んだ。
霊夢は敵のことばかり気にするのね」
「だって当然でしょう。幻想郷が喧嘩を売られているのよ」
「あら。敵の目的は幻想郷ではないと断言したのは貴女ではなくって?」
 軽々しい咲夜の口調に霊夢は唇をへの字に曲げる。

「たとえば」とレミリアは云う。「もしこれが私に対する喧嘩なら、当然買うわ。フラン。パチェ。咲夜。美鈴。小悪魔。名前なんか憶えてらんないメイド妖精達に対する喧嘩でも、それが紅魔館に対するものと私が認識したならば、私は逃げも隠れもしない。喜んで正面から迎え撃って出ましょう。ねえ霊夢。敵、敵、敵、と貴女は云うけれど――あれは誰の敵なのかしらね」

「誰、って」
「お茶でも飲んでリラックスして。少し考えればすぐにわかるわ。この状況にあって、応戦に尤も精力的に動いている奴は果たして誰なのか」
「……っ! それって、」

 たとえば、そう。この時期に冬篭りしている筈の妖怪。

 吸血鬼は不敵にかまえる。「霊夢。なんだって私がアイツ(八雲紫)なんかの為に矢面に立って戦わなければならないわけ?」

 暫くの間レミリアを睨んでいたが、おもむろに目の前のコーヒーカップを掴むと霊夢は一息に飲み干した。
「アイツあちこちに顔が広いとは思っていたけど、なに? 月にまで喧嘩相手がいるってわけ?」
霊夢は知らなかったかしら。あのスキマ妖怪、だいぶ昔に意気揚々と月に乗り込んでいって、不様にボロ敗けしたそうよ。――今回も既に勝ち目はなくなったわ」
「アンタ、もしかして」霊夢は目線でレミリアに問いかける。視たのか、と。『運命』を。

 永遠に紅い幼き月は唱う。「訊きたい? 予め断っておくけれど、これまでの出来事、これから話すことは全て月(敵)に筒抜けなのを承知しなさい。いいわね」
「わかったわ」

 レミリアは小顎を薄く上に傾け、咲夜を招く。と、次の瞬間には先端に火の彩を灯した一二〇ミリと細長いチョコレート色の紙巻を唇端に銜えていた。紅玉色のガス式白金ターボライターを咲夜が瀟洒に仕舞い、メープルシュガーのような仄かな甘い香りが周囲に漂う。日本国内では既に廃止銘柄となっている煙草『JOKER』である。一部では「伝説の煙草」とされており、つい最近になって幻想入りしてきた。その後継銘柄として愛煙家の間ではウルグアイ産の『アーク・ロイヤル・ワイルドカード』が知られているが、味の評判の方はどうも芳しくはない。

「スキマ妖怪の完全勝利。これは『結界』が出現してほぼ二十四時間、誰もちょっかいを出さずにいることが成立条件だった。これだけの大規模な『結界』の二重構築展開と、維持。加えて月からの遠隔誘導――機能を多く持たせた所為で稼働時間が極端に犠牲になっているの。五百年掛かりの計画も、丸一日、たった一日のあいだ放置されることで失敗に終わる筈だった。戦利品として幻想郷には箱庭の東京という新名所が加わる筈だった。しかしこれは異変解決という名目であんた達が手を出したことで、すべて台無しになった」
「う。だってしょうがないじゃない」
「もう一つの勝利条件。これは拡散した『雲』の雲塵を再封して『結界』の稼動限界まで維持すること。これは先刻、霧雨魔理沙が成立要件(フラグ)を叩き折った」
「え?」
魔理沙人形使いに確認したわ。『アリスのほかにも誰か居るのか』って。もう少し注意深く振舞っていれば、フランの他に伊吹萃香もその場に居たことが判ったでしょうに」
「っ!」
 ガタン、と椅子を倒して立ち上がる博麗の巫女。その首筋に、同時に紅魔館のメイド長が銀のナイフを突きつける。かまわず霊夢が声を荒げた。「あんた知ってて黙っていたワケ!?」
「云ったでしょう。月が視ていると。監視されているのが判っていて、どうして私の手札(能力)を晒す必要があるの? お気に入りの東京の紅魔館を手放すことと引換えにしても、月の連中にこちらの意図を悟られるわけにはいかなかった。ついでに云えば私とスキマ妖怪はけして友好な関係を築いているわけではないわ。幻想郷の生みの親、育ての親としては敬意を表しても良いけれど、進んでアイツの戦争に協力する気なんか、これっぽっちもない」

 巫女と。吸血鬼と。吸血鬼に仕える完全な従者。三人の間に険しさが高まる。

 レミリアは云う。「最後の勝利条件。これは博麗霊夢が鍵を握っている」
「何をさせようって云うのよ」
「何も」

 レミリアは立ち上がる。銜え煙草を指に持ち替え、乱杭歯を曝け出し、顔を近づけ、耳元で甘い声色を囁きたてる。

「何も。何も。何もしてはならない。最後に至るまで、最期に八雲紫がどんな具合に屍を晒そうとも、けして貴女は動いてはならない。けして貴女の手札(能力)を曝け出してはならない。云い方を変えましょう。博麗霊夢が見殺しにすることで、八雲紫は辛うじて勝利者となる。それが出来たら、私は紫の遺志を継いで貴女を絶対に月に往かせてみせる。今日から一年以内に、必ず、貴女を敵の眼前に立たせてあげるわ」

 既に別人の形相で霊夢が恫喝した。「ふざけんな」

「幻想郷の如何なる能力の所持者も、月には届かない。此度の戦争はけして勝ち目のない戦争なのよ。月にまで乗り込んでいかなければ敵の喉笛には絶対に届かない。次の戦争に勝つ為には、今は能力をひたすらに隠し通し、温存することが不可欠よ。博麗霊夢は幻想郷きっての鬼札。今は切れる手札(カード)じゃない」
「戦争なんか知ったこっちゃないって云ってんでしょうが!」

 霊夢の咆哮は、爆音に巻き込まれ、掻き消された。地上の三人の姿は獰猛な弾幕に掻き消されてしまった。

 空襲。



■東京・全域
 空襲が始まる。東京大空襲が。

 三条の彗星。一条の流星。無尽蔵の弾薬を抱えた少女姿の機影(Ju87:シュトゥーカ)が、あてずっぽうに光弾を降り注ぐ。射線に並ぶビルを貫き、ガラスを粉砕し、鉄骨を折り曲げ、ケーブルを切断し、アスファルトを穿ち、鉄橋を崩落(おと)し、車道に停止したままの車両の群れを爆撃し、線路を寸断し、駅を瓦礫と化し、地中深く埋設されたパイプラインを溶かし、熱屑の濁流を地下施設へと注ぎ込む。地に建つ物、天上へ伸びる物、縦横を結ぶ物、空中に築かれた物、地中に埋設された物。目に止まる物。隠されている物。それらの尽くが攻撃の対象となり、爆撃を受け粉微塵となり、ただ掠めただけで衝撃を受けて粉砕される。見よ、爆煙が上がり、火柱の上がる様を。炎は壁と為し、火の粉が榴弾の如く舞い昇り容赦なく地上に叩きつけられる。瓦礫は津波と化し、周囲に襲い掛かって更なる被害を波及させる。鉄の灼ける臭い、ゴムの灼ける臭い、プラスチックの灼ける臭い、紙の焼ける臭い、否、否、否、最早かつてはなんだったのかすら判らない物共があちこちで燻り、黒煙を上げ、炎を吹き出し、熱気の壁が空に立ち込め、重量のある燃え滓が地上に積み上げられては自重で崩れ、道路を割って地下へと墜ちて逝く。

 ラッパが鳴る。ジェリコの城壁を突き崩したラッパが東京に響き渡る。

 五十の地方道が、十六の特例主要地方道が、二百三十二の一般都道が、二十二の高速道が、京浜急行線が、東海道線が、横須賀線が、京浜東北線が、東急線が、小田急線が、京王線が、中央線が、西武線が、東武線が、埼京線が、宇都宮・高崎線が、常磐線が、京成線が、総武線が、京葉線が、武蔵野線が、大師線が、山手線が、次々と細切れに分断されてゆく。首都機能を支える大動脈が至る箇所(ところ)で消滅してゆく。

 綾瀬川が、荒川が、有明西運河が、内川が、江古田川が、江戸川が、海老取川が、大横川が、小名木川が、垳川が、葛西用水路が、亀島川が、烏山川が、神田川が、笹塚支流が、北沢川が、旧江戸川が、旧中川が、左近川が、汐留川が、東雲運河が、渋谷川が、石神井川が、石神井用水が、蛇崩川が、白子川が、新河岸川が、新川が、新中川が、隅田川が、仙台堀川が、善福寺川が、外濠が、立会川が、竪川が、多摩川が、玉川上水が、築地川が、伝右川が、豊洲運河が、中川が、日本橋川が、野川が、呑川が、花畑運河が、晴海運河が、丸子川が、妙正寺川が、目黒川が、谷沢川が、谷端川が、横十間川が、煮え滾る光景を見たことがあるか。

 弾幕を、疾風怒濤の弾幕を、剣林弾雨の如き暴力を地表に向けて容赦なく開放すれば、こうなる。一切の手加減なく、遊びではなく、持ち得る能力の全てを開放し、全開にし、大量の、大量の、大量の弾幕を、唯唯、破壊目的で其等の尽くを間違いなく炸裂させればこうなる。なるに決まっている。

 けれども全方位に拡がる無限大(ウロボロス)の建築群(・オフィス)を粉砕するには、無尽蔵の弾幕如きでは足らぬ。足らぬ。徹底的な大打撃は与えられても決定的な一撃には、致命的な一撃には遠い、程遠い。吹き飛ばした瓦礫で林立するビルを蜂の巣にしたところでそれは崩れず、空中を高速で駆け抜けて擦違い様に擦過傷を深く刻んだところでそれは致命傷(クリティカル)には至らない。吸血鬼の分身がはしゃぎ、魔法使いは舌打ちをする。足りない。まだまだ足りない。

 東京を消滅させるには結界を消去させるには圧倒的に火線(シューター)が足りない。

 魔理沙の苛立ちを嘲笑うかの如くあちらこちらで東京は炎をあげている。数十数百数千もの赤い舌を蠢かせて哄笑していやがる。

 かつてのあの日と同じように。東京が燃えていた。
 今にも(否、)燃え尽き(否、)朽ち果て(否、否っ、)陥落しようとしていた。
 否!



■東京



 首都・東京。
 その何処かで。何かが。
 何かを戒めていた鎖が爆鎖し。何かの拘束が解かれ。何かが起動する。

 何処かで。ゆ。鐘(ベル)が鳴り響く。ゆ。除幕の鐘が。ゆ。開幕の鐘が。ゆ。序幕の鐘が。「ゆ」



「ゆ」



 稼動する。噴き上がる。火柱が建つ。
 黒き炎(ジェットセットブラック)が壁となって雄雄しく立ち塞(はだ)かる。



「ゆっ」



■円筒状結界前
 ドラム缶を使った焚き火が豪快に燃え上がる。この鋼鉄の缶がいつ幻想入りしてきたのかは定かではないが、五右衛門風呂を筆頭として、見ての通りに焚き火、燻製作りの窯、バーベキューの炉、人里では瓦代わりの建築素材として応急的に流用されることもある。
 紫。藍。橙。三人の妖怪達は周囲に配したドラム缶で火を焚き、その中の一つ、ドラム缶の上に敷いた鉄板の上に土鍋を置いて、取り囲んでいた。ハムスターの着ぐるみ姿で。
「ああ温い温い。橙、そっちの胡麻ダレとってくれる?」「あ、はい」
「……紫様。なんで私ら湯豆腐に舌鼓を打っているんです? しかもこんな格好で」

 土鍋の中身は絹ごし。木綿。凍み豆腐。厚揚げ。それに湯葉とおまけに大量の油揚げである。これらを野菜出汁と一つまみの塩で煮込み、豆腐がぐらついたところを掬って平らげる。タレは擂り胡麻を合わせた酢味噌か、カボスの絞り汁などであっさりと頂く。薬味にカイワレ大根があれば尚嬉しい。

 何しろ熱が入りすぎるとスが入ってしまい味が格段に落ちるので、ある程度に温まったあたりが食べ頃とされる。猫舌の橙にも優しい鍋料理である。

「なによ。用意したのは藍じゃないの。私はお肉が食べたかったのに。あれは冬篭り前だったかしら、私が今日は冷え込みがきついから夕餉はお鍋したいっていったら貴女はそれはいいですねと云ったわよね。ええ今でも忘れないわ。あのとき貴女が用意したのはしゃぶしゃぶ。別にしゃぶしゃぶに文句はないわよ。暦とした鍋物だし。でもあれは本来なら夏に食べる物なのよ。俳句でも夏の季語だし。って別にそんなことはどうでもいいのよ。問題なのはあの時藍が用意した具材っ。しゃぶしゃぶといえばメインはお肉でしょう。だのに貴女ったら油揚げと薄切りにした川魚を大皿に盛り付けてっ。それって藍と橙しか喜ばないじゃないっ。不貞腐れていた私を貴女はさも我侭みたいにぼやいてたけど、あれってどう考えても悪いのは藍のほうだったでしょう」
「いい年して口をとんがらせないでください。いやいや私が云いたいのはそういうことではなく、」
「んー、でも美味しいからいっか。これでお酒があれば文句ないんだけどねー、お鍋で火照った身体に、お冷なんていいと思わない? 橙もそう思うでしょ?」「私、お酒屋にひとっ走り行って来ましょうか」「そう? それじゃお願いしちゃおうかしら」

「ちったあ自重しろよスキマ」

 油揚げばっかりつまんでいた藍が、主人の暴挙に遂にキレる。ハムスター姿で。
「戦時中だってのに酒はないでしょーが酒はっ。それとこの格好はなんだと申しておるのです!」

「だから寒かったんだってば。藍はあんな格好だったし。橙は猫だし、私は冷え性だし。まさか丹前(どてら)を着込んで戦争(ドンパチ)するわけにはいかないでしょーに」ところで藍は狐酒って知ってる?
「着ぐるみならアリなんですか」っと、なんですかその、剣呑な名の酒は。まさか私を酒に漬け込むおつもりですか。
「ありでしょ。だって可愛いし」そんなんじゃないわよ。厚揚げをよく焼いて上から熱燗を注いだものよ。油揚げの香ばしさに、豆腐の甘さ。たまらないわよ。
 ほほう。それは是非とも……っていやいやいや、今は駄目ですからねっ。
 ちぇーっ。
 ハムスター橙が藍を見上げる。上目遣いだ。「あの、藍様。私、可愛くないですか」
 大事なことなのでもう一度云う。上目遣いだ。

 う。
 やべえ。
 やべえよ。おい。楽園の素敵な猫天使(ちぇんじぇる)がいるよ。

「可愛いっ。橙は可愛い、可愛いよ橙はっ。あーもうこの子ってば私を萌え殺す気かい!? ダイブしてもいい!?」
「自重しなさい雌狐」

 厚揚げを齧り乍ら嘆息する。「まあでも、することはあんまりないのよね。『結界』の中では凄いことになっていると思うけど、外からじゃ加勢のしようがないし。それでまあ、独り者の嫦娥の前で家族の団欒をひけらかして弄ぼうっていうのがコンセプトなんだけど」
「流石は紫様。ひとの嫌がることばかりに頭を働かせて躊躇なく実行することにかけては定評がありますな」
「いやね藍ってば。そんなに褒められるとゆかりん照れちゃう……って何処も褒めてないじゃないっ」
「ほーら橙、こっちの絹ごしは食べ頃だぞぅ」「ねえちょっとは付き合ってよ」

 じろり、とハムスター藍は己が主人(ハムスター)を睨み据える。

「だいたいですね。私はその、嫦娥とか申す奴のことなど紫様から一言も聞き及んではおりませぬ。式(アプリケーション)は命(データ)を与えられて初めて式神ワークステーション)として機能するもの。何故、情報を与えては下さらぬのか」
「それで拗ねてたんだ。とは云ってもね、私も彼女のことはあまり知らないのよ」
「此の期に及んで、」
「いやいや本当だってば。私の識る嫦娥は、永遠亭の宇宙人達と同様に蓬莱の薬を服用した不老不死者だってことぐらい。千年前の月面戦争でも、彼女は能力ではなく月の技術を後方から駆使して、しかも月の連中に幽閉されていることもあってけして姿を晒そうとはしなかったわ。ただ厄介な相手っていうのは藍が身を以って知ったとおりよ。棋士に例えるなら名人級の穴熊使い。堅い守りを生かした大胆な戦法を得意とする老獪な策略家」
「して、その攻略法とは」
「通常は穴熊囲いが完成する前に速攻で叩き潰すのが上策(セオリー)なんだけど、それが既に無理。まあ今回はあの『雲』を排除した時点で私達の勝利という条件だから、温い戦(いくさ)よね」
「紫様のおっしゃる温い戦とやらで、私は危うく凍死しかけたわけですが。そういえば『雲』の化けた贋物の私に、守矢の神々が切札だと断言されておりませんでしたか?」
「流石に耳聡いわね。――『雲』の結界を排除する為に魔理沙達は東京を破壊するでしょう。結界の内部がある程度消滅したところで、魔方陣という鎖から解き放たれた祟り神が阻止の為に動き出す。千年余の信仰は伊達ではなく、生半可な戦力では太刀打ちできないわ。まともに遣り合えば、それこそ残機が幾らあっても足りないぐらいに」
「して、その切札が守矢神社であると? おかしくはありませんか? 信仰力を云々と申すのであれば、それこそ八坂も洩矢も勝ち目はない筈」
「と、嫦娥も考えているでしょうね。だからこそ私達がこうして湯豆腐を突いている間も、なんら動きをみせようとはしない。油断しすぎだわ。温い温い」

 カボス汁に三つ葉を浮かべ、酒に見立てて呑み干した。

「守矢は幻想郷の外から最近越してきた。当然、外の歴史を識っているわ。平将門がどう討たれ、どの様にして野心が潰えたのかを」

 ――。
 ――――!

 円筒状結界が突如、鳴動を開始する。氷壁に亀裂が疾り、次々と篩い落とされる。

「にゃ!?」
「! 紫様っ」
 狼狽する式と式の式(ハムスター×2)。

 嫦娥は強制的に結界を取り巻く氷箔を乖離させ、遠隔手動で雲塵を解き放つ手段に踏み切ったようだ。
 だが。

「遅い」

 紫(ハムスター)が一呼吸(ひといき)に斬り捨てる。

 円筒状結界の上空にスキマが開いた。落下してきたものは大きく見積もってもせいぜいが三メートル程度の、注連縄を巻かれた要石だ。半径三十km規模の大結界を拘束することなど、とても、

 ぴた

「えっ!? 藍様、紫様、見てくださいっ」
「……止まった?」

 ゆるげどもよもや抜けじの要石

比那名居天子の要石。地震、即ち振動を鎮める力が備わる。どう、嫦娥。地上の技術(テクノロジー)も莫迦に出来ないでしょう?」

 結界は再び、沈黙した。
 完全に沈黙したかに見えた



■東京・立川
「わかったわ」
 通信を切り、紫水晶アメシスト)色のスリムカードタイプの無線機を袖の下に仕舞う。パチュリー仕様の端末には魔力を通すことで作動する簡単な健康診断機能が付随しており、にとりが目下交渉中の八意永琳の端末に診断情報が自動/手動送信されるようになっている。
「小悪魔。私はこれから魔理沙達と組んで東京に対して強攻戦を行うわ。この多摩図書館を徴発し臨時に司令塔、ならびに最終拠点とする。立川以東からを全域戦闘攻略区域に指定。貴女は避難してくる妖精や妖怪を『穴』まで誘導して頂戴。邪魔だから」
「了解であります!」
 ヘッドギアと拡声器(マジカル☆トランジスタメガホン)を既に装備し、びし。と敬礼してみたりする。
「……ノリがいいわね」
 と、仕舞った無線機から受信コールが発せられる。アリスだ。
 ごっすんごっすんと煩い呼出音を止めて再び無線機を耳唇(じしん)に宛がった。「御機嫌よう人形使いテグザー)」

『時候の挨拶は省かせてもらうわ大図書館(アレクサンドリア)。東京の破壊を先延ばしにして頂戴』

「無理ね」お互い魔法使い同士。相手(アリス)が駆け引きを放棄するならこちらは応じるまでもない。「話はそれだけ? 時間が惜しいから切るわよ」

『待ちなさいパチュリー。貴女、こっちに来てから外来人に遭遇した?』
 パチュリーの意図を察し、アリスの声色が知人相手の会話口調からシフトする。魔法使い同士の探り合いに。
「おかしなことを訊くのね。その口ぶりだとどうやら貴女も東京に赴いてきているようだけれど、此処には生体は存在しない。結界内は完全に無人よ」
 言質は得た。
無人(Unmanned)。確かにそう云ったわね、パチュリー・ノーレッジ。動かない大図書館。いま貴女がカウントしたのは、生きている外来人の人数? それとも死者を含めた外来人の人数かしら?』
「!?」

 賢者は息を呑む。人形使いは何を云おうとしているのか。

火焔猫燐は知っているかしら。幻想郷の地下世界に住む火車の妖怪。この黒猫は東京で量産される屍体を目当てに東京入りを果たし、回収した大量の亡骸を地下構内に備蓄していたの。男性の死体。女性の死人。老人の遺体。子供の変わり果てた姿。赤子のむくろ。日本人の遺骸。外国人の死者。死亡者。事故死者。自殺者。他殺体。ボディ。それぞれを鑑賞しているうちにある一つのことに気がついた。扼殺(縊死)体が多く含まれていることに』
「待って、待ちなさいアリスっ」
 珍しく冷静さを失って声を荒げるパチュリーに、小悪魔が驚いて自分の無線機(ルージュ、ノワール配色)を取り出すと二人の通話に、パチュリー端末に介入する。聞き耳を立てる。
「答えなさいアリス・マーガトロイド! 貴女は今、何と戦っているの!?」

『一つの都市伝説。水面から溢れ出た無数の生白い腕が、生者を掴まえて引きずり込む。死者の妬み。嫉み。恨み。怨み。それらの呪いめいた概念が具現化したもの。但し、伝説とは違う』

『そいつは境界面から出現して、先ず最初に首を絞める。唯の人間ならいざしらず、私達なら撃退は容易いでしょう。でもそいつは退散するとき、敵の能力、或は技術といったものを掠め取る。――敵が誰か、ですって? そんなのこっちが訊きたいわよっ。便宜上、私達が命名したそいつ“百々目鬼(サハスラブジャ・ドゥルガー)”はあくまでも妖術であって、妖怪とかの類じゃない。妖術使いが何処の誰かなんてのはまったくもって不明のままよ。でも、いま東京を破壊してしまったら、結界が消滅してしまったら間違いなくこいつは解き放たれる。パチュリー。こいつをけして幻想郷入りさせてはならないわ。結界の檻がなくなった途端、私達の安住の地は殺戮の宴(キリングフィールド)と化す。立川の甲州街道で野良犬の死体を見なかった? あれは幻想郷の山野にいる飢えた低級妖怪の成れの果てよ。人里に降りる途中でこちらに迷い込んだのね。全身を喰いつかれて死んでいるのは、最初にそうやって野犬が百々目鬼を撃退したからよ』

「アリス。もしかして貴女は」推察は出来る。考察は可能だ。しかし確認は取らなければならない。「貴女は何を盗まれたの」

『人形を操る魔法技術』その声の色はどこまでもどす黒く、怒りに打ち震えていた。『あいつは私の術を使って、死体を、人の形をした成れの果てを操って襲わせてきたのよ。パチュリー。私は許さない。絶対に許さない。あいつを幻想郷に逃がすものか。私が追い詰め、私が斃す。だからお願い。力を貸して頂戴。東京の破壊を出来るだけ遅延して』



――【#1 『TOHO WAR』 03に続く】



■中書き
 はいはい1000行1000行。今回もまたパチュリーのターンで引きになっているのはべつだん狙っているわけではないのでありんす。それと、ざっと見直してみると各章の並びが時系列毎に並んでいるわけじゃねぇのですぜ、旦那。なんだってこんなヤヤコシイ構成になっているんだか。
 次回掲載時期はこれまた未定。リアルが忙しくて時間が取れないのがネック。



Mamdorcha さん江。
 はじめまして。鴉片です。一度はこの業界(つーのですかね?)から足を洗い、金輪際ナニかをメモ帳に打ち込む作業なんぞには向かわないものと自分も思っておりました。すべてはニコニコ動画にうpされていた東方缶蹴りが悪いのです。あれの二話目にあった、霊夢が缶を踏んづけているシチュから円筒状結界がどーのこーのと閃いてしまって、あとはこのザマです。愉しんで頂いているのならば幸いですが、書いてる張本人はちっとも面白味を自作に見出せないって、コレってどーゆぅワケなのよ。妄想作業自体は愉しいんですけどね。

#1 『TOHO WAR』 01

■守矢神社
 黄昏刻とともに拡がりはじめた濃霧は次第により深さを増してゆき、宵闇の中で星々を喰い尽くしていった。
 夕焼けを帯びてまるで血の色のようだった霧も、今は月の光の下で空中にとぐろを晒している。

 こんなに星のない夜空はこちらではついぞ見たことがない。まるで外の世界のようだねと神奈子が呟くのをみて、早苗は頷いた。
 星々が、遠い。たしかにこんな感覚で夜空を見上げるのは、幻想郷に来て以来はじめての出来事だ。空を飛ばずとも、地上にいながらにして手を伸ばせば直ぐにあの瞬きに届くような、昨晩まではそんな星空が続いていた。
 外の世界はあんなにも夜が明るく、穢いものだったのだと、こちらにきてから実感した。
 呼吸する。
 外の世界の澱んだ空気を思い出す。どこか懐かしくもあり、少しだけ寂しくもあった。

「智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 ――」



■彼岸(地獄)
 夜明け前。死神・小野塚小町は上司の悔悟棒によって叩き起こされるといういつも通りの、しかし乍ら時刻を考えれば前代未聞の起床を迎えていた。
「まさか四季様が寝落ち朝駆けするひとだったなんてっ。でもあたい的には大歓迎ですっ」
「それを言うのなら『夜討ち朝駆け』です。寝惚けてないで起きなさい小町。緊急事態が発生しました」

「首都圏担当の閻魔達との定時連絡が突然途絶えました。こちらからの応答にも依然沈黙したままで、上層部はこの異常を即座に解決すべく要員の派遣を半刻前に決議しました。そう、私たち二名のことですが」
「はあ。でもなんで四季様とあたいに白羽の矢が? 関東近域の閻魔様たちのほうが現場に近いでしょうに」
「我々が最も近場だからです」

「そう、異変は何時だってこの幻想郷で起こるものですよ」



■幻想郷・中央部
 一夜が明け、幻想郷に突如として出現れた半径三十kmに及ぶ暗雲状円筒形結界。地上に直立し天上へ達する巨大にして異様なそのスガタは幻想郷の何処を問わずして瞠目することが出来、圧倒的な存在を知らしめた。

「――これは異変ね」「異変だぜ」

 即座に腰を上げる博麗の巫女&火力の魔法使い。しかし目の前の『雲』はあらゆる物理的・魔力的な接触の一切を拒絶する。
 一計を案じ、萃香の能力を借りて部分的に『雲』を霧散して結界を弱め、三人は内部への突入に成功する。

 そこには外の人間が『首都』と呼ぶ、東京と周辺都市一帯が無人の状態で広がっていた――。



■タイトル:【東方Project】×【首都消失

『TOHO WAR 〜 東方儚月抄・前夜』



■円筒形結界内・東京
「うぉぉっ。なんだこりゃ。壁に吸い込まれる!?」
魔理沙〜、建造物の谷間は気流が厄介なことになってるからもっと高いところを飛んだほうがいいわよ」

 結界に『穴』が開いたのを機に、続々と首都入りする幻想郷の住人達。

「御機嫌よう。外は忌々しいくらいに晴天なのに、この中はお散歩日和の曇天ね。気に入ったわ」
「よおレミリア。まさかお前、ここに別荘でも建てるつもりか?」
「なんだってこんな殺風景なところを避陽地にしなくちゃいけないのよ。だけど、そうね――フランの遊び場には丁度好いと思わない?」

 船橋近郊・谷津のバラ園にはフラワーマスター・幽香が出没し、永田町の国会図書館を目指す動かない大図書館・パチュリーは途中で力尽き立川の路上で小悪魔による介護を受けていた。秋葉原ににとり。幻の新橋駅に酔い潰れた萃香。上空を烏天狗が舞い、地上を白狼天狗が駆け抜ける。電信柱で足をとめる。

 一方、中心部へと妨害もなく突き進む紅白と黒白。
「って、中心ってどこらへんよ。いつもだったら適当に飛んでれば敵が出てきてラスボスまで一直線だっていうのに」
「まったくだぜ。こんなことなら早苗も連れてくるべきだったな」



■東京・湾岸
 水路を廻り、東京を視察する閻魔と死神。遠目に望む巨大都市はさながら乱立する墓標。
「完全に無人ですね。いや人どころか都市鳥や犬猫、虫の一匹もいやしない」
「気がついたのはそれだけですか。小町、歩道と並んで街路樹が生えていたでしょう。あの木々は生きていましたか?」
「いえ。おそらく、幻想郷に出現したこの街は贋物。謂わば本物の影の具現化したものと考察します。だから生きとし生けるものはおろか、彷徨える死者の魂すらもあたいらの『目』には映らない」
「――そう、この街は虚構。幻。まやかし。嘘だらけのこの空間(セカイ)には、空に鳥はおらず、地上に民はおらず、水面の下に魚はおらず、」

「ならば何故、奈落(地下)に蓮阿弥陀仏が冥っている?」

「! まさか本物」
「違います。東京が仮初めならば、同様にあの相殿神(あいどののかみ)も分身。厄介なのは日本の神の特徴として、力も気質も本体と同等ということです」



迷い家(マヨヒガ)八雲邸
「……ゅ……、……ゆ…り……、…様、――紫様。お起きください」
「――夢を見ていたわ」

「むかし、昔の幻想の闘い」「美しき月面戦争の夢」

「当時の私は慢心を相方に私の全知全能を以て優雅に月の民に挑んでいった。そして無様に逃げ戻ってきたわ。あんなにも容赦の無く、完全で、文句などつけようも無い、心地好い敗北なんて滅多に味わえるものじゃない」
「――」
「で? 冬眠中の私を叩き起こすほどの火急の事態とは、いったいどのようなものなのかしら……?」
「戦争が勃発しました」

 事実だけを簡潔に、紫の式は述べる。「お目覚めください紫様。幻想郷は現在、何者かによって侵略行為を受けております。この状況は従来通りの異変などで済ませられるものではない、明らかに戦争です」



迷い家(マヨヒガ)八雲邸
 地上に降り立った季節外れの積乱雲を想起させる、白雲状円筒形結界。

「初期状態ではあの結界は雨雲のようにドス黒かったのですが、博麗霊夢らが侵入のために『穴』を開けてから以降は徐々に密度が低下しています。『結界』は物理的・魔術的による攻撃を拒む性能を維持したまま拡散し、このままでは博麗大結界と接触することになるでしょう」
「貴女の見立てだとそれだけでは済まないって訳ね」
「はい。接触の際、大結界に浸透してあの『雲』は博麗大結界を乗っ取る。博麗大結界そのものとなります」

「外の世界に再び首都領域が復活することがあるとして――出現するのは東京ではなく、閉ざされた幽世より強制的に移動させられた幻想郷そのものになるでしょう」

「私――」「とても眠いわ」

「紫様っ」
「わかってる。わかっているのよ頭では、今が非常事態だってことぐらい。事態が逼迫しているってことぐらいは。でも眠いの。とても眠いのよ。ああやられたわ。まだ誰だかすら判らないけれども、もしこの状況が敵の術策の一つに過ぎないとしたら、ものすごく強敵よ。現に今の私じゃ、思うように力が出せないし完全に頭が回らないもの」
「紫様――」
「だから、これは命令よ」「手加減抜きで私を殴りなさい」

「このままでは敵には勝てないわ。私は冬眠から今一度覚醒する必要がある。貴女の、強烈な一撃を頂戴、一切の手加減の無い問答無用の苛烈な一撃を」
「ですが主人に手を上げることなど、私には、」
「今の私は冴えていない。とことん冴えていないわ。でもね、とてもお寝ボケな脳細胞の一つ一つが軋みをあげているのだけはよく解る。いいえ、脳細胞だけじゃない。八雲紫を構成する全身の細胞が悔しい、悔しいってこの八雲紫に訴えかけている」

 紫は泣いていた。
 ひどくだらけきった姿で。
 家族同然の主従の間柄とはいえ、ヒトは(妖怪だが)こうも無様なスガタを曝け出せるものかと、普段の藍なら諌めるところだが――主人の心中を察し、――臓腑が、芯から沸騰した。

 orz ← 紫が泣いている。

 悔しい、悔しいと怨々粛々と繰言を唱えながら、狂おしいほどの怒りで身を細々と震わせながら、大妖怪・八雲紫が従者である式の眼前で憚ることなく、途切れることの無い涙で畳を濡らしている。その爪は獲物を切り裂くものだ。それが畳を引き裂くことに終始していることが酷く、我慢ならない。

 それがどれほどの屈辱か、あってはならないことなのか――、八雲藍は血の気を失うのもかまわず拳を握り締める。

 ああ主人が泣いている。だれよりも幻想郷を愛する主人が、傍迷惑で傍若無人で悪巧みと怠惰が大好きでどうしようもない、ああ本っ当にどうしようもないぐーたら大妖怪だが、自分にとって誰よりも畏怖敬愛すべき主人が(橙の場合は『愛』とかではなく、あえて表記するなら『ら、ぶ』)、あの八雲紫が泣いている。
 この涙を誰にも見せてはならない。今なら藍は躊躇うことなく両の眼を潰すことも厭わない。
 だが、それは後回しだ。今為すべきは、溢れる涙を、

「――わかりました。参ります」

 すっくと、天狐。

「(霊夢の声色)紫(アンタ)なんか大っ嫌い!」
「ぶほぉっ」

 驚きの車田ぶっ飛び。

「き、効いたわ。今の一言、どんな一撃よりもたしかに効いたわ――っ」「それにしても霊夢声帯模写なんていつの間に身に着けて」
「妖狐ですから」



迷い家(マヨヒガ)八雲邸
「あらためて現状を再確認しましょう。正体不明の雲状結界の出現。内包構成要子は外の世界の首都・東京と周辺領土。霊夢魔理沙は之を『異変』として解決すべく結界内に侵入。同時に『雲』は第二段階に移行、拡散して博麗大結界に接近中。目的は大結界の攻略と推測。敵の正体は不明。最終目的は幻想郷の本土出現。これは幻想郷の崩壊と同意である。――博麗大結界が解除されたとして、再構築にどれだけの刻を要する?」
「私と紫様と、博麗霊夢の力を以てしても七日。絶命覚悟で尽力を尽くし最短で二日半かと」
「遅い。日本の『首都消失』状況は世界の注視を浴びているわ。五分で本土の残存国家機関と在日米軍が押し寄せてくるだろうし、コンマ一秒ほどの『出現』でもメディアや衛星の記録に残る。――その後に起こるのは外の世界六十億の人間の欲望と、我々妖怪との死滅戦よ」
「ならば我々の防衛戦略とは、博麗大結界の断固死守」
「甘い。大結界への接近を防いだとしても、大気を満たした『雲』が幻想郷諸共『首都』を本土に出現させることは目に見えている」
「ならば『雲』のこれ以上の拡散阻止。のみならず、制圧下にある領域を奪還して『雲』の範囲を後退させ、尚且つ固定させること」
「そういうことを得意とするあの鬼娘は?」
「『雲』に穴を開けた後、幻想郷内での目撃情報はありません。伊吹萃香は霧散して雲隠れすることができますから情報はあてにはなりませんが、今回の場合はいち早く『雲』の状態に気がついて対処しているでしょうから、おそらく内部に侵入しているものかと」
「判っていた事だけれど、完全に後手後手ね。先ずは鬼の確保。――これは土地勘のありそうな守矢の巫女が適任ね」
「紫様の能力でもあの『雲』には効き及びませんか?」
「無理ね。試してみたけれど、境界を弄くるどころか触れた瞬間に弾かれてしまったわ」創傷を帯びた右掌をかざして見せる。「力尽くで『穴』を開けることは可能だけれど、それだけでは意味がないし。何より、私まであの中に入っていってしまえば博麗大結界と『雲』の監視役を貴女一人に負わせることになってしまう。ところで、あの中へのこちらからの侵入者は把握しているかしら」
博麗霊夢霧雨魔理沙。これに随伴して伊吹萃香(推定)の三名に、紅魔館の吸血鬼姉妹以下数名、物見遊山の妖精妖怪多数、天狗二名。それにこれは不確かな情報で裏付けはまだなのですが、死神と閻魔様の二名が……」
「っ、ちょっとどうして閻魔様が、」
「鬼火どもの申すところによると、首都担当のヤマと連絡が途絶したとかで――紫様?」
「それは表向きの要件ね。そうか、確かにあの地には魔方陣が十重二十重に交錯して築かれているし、『雲』の結界の所為で幾つか遮断されてもいる。魔法陣に綻びが生じている以上、是非曲直庁が動くのは当然ね」
「紫様。それはどういう」
「東京は巨大な霊地。そして古来より呪術都市として成立してきたわ。何よりあの地には、厄介な祟り神が祀られている。まあ、そちらは閻魔様に任せるとしましょう。それで動いていないのは守矢神社と永遠亭ということでいいのね」
「いえ、白玉楼もまだ」
幽々子ならとっくに動いているわ。この時期、私が冬眠していることをしっているわけだし。そうね、これで後手の先を取ることはできるか」

「ところで紫様。敵はいったいどうやってあの『雲』を幻想郷内に持ち込んだのでしょう。紫様が冬眠中だったとはいえ、私や博麗霊夢に気づかれることなく博麗大結界を越えての侵入は不可能なのでは」
「幻想入りルールの盲点を突かれたのね。外から幻想郷に入ってくる為には、三つの方法がある」

 一、博霊大結界をこじ開けて無理矢理入ってくる
 一、外の世界で時代遅れとなり、人々の記憶から忘れ去られること
 一、外界で存在が“完全否定”されている、にも関わらず人々が求めてやまない品々

「あの街には公的には存在の否定されたもの、一部では有るとされているのに社会通念上は存在してはならないものなどで溢れかえっている。そういった物の関係者が代替わりしていくと、否定され続けた存在が本当は実在していることなど、すっかり忘却されてしまう。あの国はそうやって多くの物事を忘却することで先進してきた――もしそれらの『物』がいちどきに幻想入りしてきたらどうなると思う?」

 一つの街が再構成される。
 『雲』に覆い隠されているのは、東京そのものではなく、幻想が寄り集まって実体化した映し絵の『東京』。

「多分それだけじゃないでしょうね。幻想郷に張られている『幻と実体の境界』の作用を知った何者かが、幻想入りする前の段階で一部を戦後復興直後の東京に分散蓄積するような罠(プログラム)を秘密裏に仕込んでいたとしたら。それが一定量に達したところで集積した外の世界の遺失物、その全てを幻想郷に一気に叩き込む。そうすることで一大都市を丸ごと幻想郷内に出現させる。滞積物を全解放したところで、今度は東京に仕掛けられていたもう一つの罠(トロイの木馬式ウィルス)が起動する。幻想郷に出現した東京(サーバー)と外側の世界の東京(クライアント)とで、同時に『雲』が展開するように」

「侵攻計画は五十年も前に進められていたと?」
「五百年掛かりの大計でも驚かないわね。――貴女は守矢神社へ出向いてちょうだい。私は永遠亭に赴くわ」
「宇宙人? 彼の者たちは敵ではないと、そうお考えですか?」
「蓬莱人が敵だとすれば、昨晩のうちに竹林は炎上しているでしょう。でも貴女の報告にはそのような件はなかった」
「判りませんね。紫様、どうかご説明を。でなくばむざむざと、主人を敵陣へと見送ることなど式として出来かねます」
「仕方ないわね。――彼女達は不老不死者(アミターユス=無量光仏)。外界人の目に触れることを拒んで、あの竹林に終の棲家を築いた。幻想郷が崩壊して一番困るのはあの蓬莱人たちよ。私たちは幻想郷がなければ生きてはいけない。でも、彼女達は幻想郷が滅んでも生きていかなければならない」
「宇宙人が心変わりをして、月に帰る算段を企てている可能性は? その手土産として、幻想郷の崩壊に加担したとも」
「蓬莱人が月に戻るとしても、白兎は竹林に残るでしょう。幻想郷が消えれば迷いの竹林も消えるしかない。八意永琳はせめてもの情けとして、自ずから白兎に手をかけようとする。しかしそれを月兎は良しとはしない」

「あの二羽の兎が本気で抵抗しても、八意永琳には敵わない。しかし、決死の抗戦によって竹林も只では済まない」
「合点がゆきました。確かに今の紫様の道理ならば、彼女達は敵ではないのかもしれません。では何を求めに?」
「月の科学力に対するは、月の頭脳」

「私の能力を知り、習性を知る者。私を敵と認識し、私の最愛のものを永劫に奪おうと目論む者――それは月の者しかありえないわ」



■迷いの竹林・永遠亭
 鬱蒼と生い茂る背高の竹の群。其れは上空から竹林にある隠れ住いを隠蔽するのに一役買っているのだが、見上げれば白昼の残月までとどかんとする雲状結界がここからでも見届けることができる。
 雲は霞みを減じ、その向こう側に穢れし罪人たちの築いた欲望の檻籠が乱立しているのが見える。
 そう、観えてしまっている。結界の拡散化は加速度を増している。

「そこで月の賢者。貴女の智慧を拝借したいのだけれど」
 負傷した右手の治療を大人しく受け乍ら紫が八意永琳に訊いた。包帯を巻きつつ女医が答える。
「知ってのとおり、今の私は唯の薬師なのだけれどね。結界のことなら専門外もいいところ。境界を操る貴女以上の知識なんて期待されても困るわ」
「あれが地上の技術、或は能力によって生じたものなら確かに私の管轄でしょう。――アレは明らかに地球外の超文明に因るモノ。適度な暇潰しの為に攻略するほどの猶予はちょっとないのよね。で? アレに触れる為にはどうしたらいいかしら」
「……ないわね。粉粒体構造結界は個としては固体、集合体としては流体の性質を備える。管理者権限の無い者が無下に操作を加えようとすると、大気中で粉塵爆発が巻き起こって幻想郷全土が爆散するわよ」
萃香霊夢は『穴』を抉じ開けたわ」
「その二人は?」
魔理沙も含めて結界の中」
「今回ばかりは軽率ね」永琳は嘆息する。「どうみてもハニーポット・トラップじゃないの」
「まあね。それでも異変が起きたら見過ごすわけにはいかないのが博麗の巫女の役目。敵の術中であろうとも看過しておく訳にはいかない」
「今の話からすると、直接触れさえしなければ権限がなくとも操作が可能ということになる」
萃香を除外して、それを可能とする能力者がいるかしら」
「これは本当に専門外なのだけれど、魔法ではどうなの?」
「言ったように魔理沙は中。紅魔館の大図書館も中。アリスは人形遣い――万能型らしいから念動魔法ぐらい習得しているでしょうけれど、大量規模の無限に均しい流砂物質の誘導操作は無理でしょうね」
「ならプリズムリバー姉妹でも無理ね。騒霊ならポルターガイスト現象を引き起こすのは造作もない。しかし、対象が桁違いすぎる」

 粒自体はミリグラムもないだろう。しかし総質量では計り知れない。

「アレを」と、永琳から眼をそらすことなく紫は指し示す。「全体規模で操作できる能力。技術。現象――はないかしら」
「ないわね。――ということもないわ」

 紫から眼をそらすことなく永琳は諭す。

「結界は唯の結界。誰の手によるものかは知らないけれど、知的生命体によって生成された産物。第三者による直接操作は出来ないといったけれど、あれは絶えず風雨にさらされているわ。そして少なからず影響を受けている」

 紫はほくそ笑んだ。「ありがとう。さすがは月の賢者」
 永琳が微笑する。「どういたしまして。お大事に」

 紫がスキマで退去するのを見計らって、永琳の執務室の扉が開いた。
「今の問答でいったい何を閃いたんだか。スキマ妖怪のことは解らないにしても、永琳はどんな診断を下したの?」
「盗み聞きははしたないですわよ」永琳は微笑する。先ほどとは打って変わって含みを持たない素顔の微笑。「診療秘守の義務がありますから明かせません」
「なによそれ」
「菜の花や 月は東に 日は西に――あの妖怪の考えなんて私にもわかりません。でも名案が浮かんだのでしょうから、あの異常事態も長くは続かないでしょう。早日中(あした)には何事も変わりなく平凡に、穢れし地上を見下ろし乍ら日は昇り沈みを繰り返し、月は満ち欠けを繰り返す――永遠に」
「あれは月を疑っていたようだけど。永琳もそう思う?」
「技術的には可能なのは確かね。でも時候的にはありえない。二大勢力の対立は緊張を保持したままで、何処か他の事――穢れた地上のことなんて瑣末事に手を出す余裕なんてないでしょう。私は違うと思う。スキマ妖怪にしても口ぶりはどうあれ月の侵略だという確証は得ていない筈」
「でもこれで口実が出来た」
「そうね。この騒動が無事に終息してほとぼりが冷めた頃、八雲紫は動き始めるでしょう。再上陸闘争(レコンキスタ)に向けて」

 第二次月面戦争

レイセン達も呼んでお茶にしましょう。とっておきの美味しい芋羊羹を用意するわ」
「永琳。あれの首謀者だけど」蓬莱山輝夜は窓の外の仄めく摩天楼を見上げ、更に見上げる。残月。「あの月に唯一人、勢力争いの蚊帳の外にいて興味も関心も持たず、穢れなき月にあって唯一身、穢れを負って隔離処に幽閉されている……永遠に暇を持て余す人物に心当たりがあるのだけれども」



■守矢神社
「わかりました」早苗は往々と頷いた。「つまり私が主人公だと」

 背後に控えた二柱の神々は自信満々な風祝に一抹の不安を覚える。「なあ諏訪子や。今の話、そういう流れだったか?」「違うと思う」

「あー妖怪の式神八雲藍といったかね。あれだ、そういった依頼は西新宿の煎餅屋にもっていったほうがいい」
「しんじゅく? たしか東京の地名でしたか。あの中は今は無人ですが――なぜ煎餅屋」
「副業なのさ、人捜しが」神奈子は茶を啜った。「伊吹の鬼――萃香を探せといったね。東京がどれだけ広いのかをお前は知らない。仮に東京駅にいるとしよう、公表されている範囲だけでも地上五面地下四面の大迷宮だ。私ら三人が手分けをしても辿りつけない鬼ごっこさ。神に誓ってもいい」
「早苗がまだちっちゃかった頃、あそこで迷子になったことあったよねー」「諏訪子様っ」
「ですが現時点では他に策が、」
「東京全土。地上の建物や地下空間を含めれば広大なんてもんじゃない。すぐ傍にいたって、通り過ぎたビルの中に居たんじゃこっちは気づけもしないんだ。捜しだせっていうのが無理な話しさ」
「神奈子様は、お断りするっていうんですか」批難の眼を向ける早苗に神奈子は茶の御代わりを要求した。「馬鹿を言っちゃいけないよ。相手が信者ではないといえ、神に縋るものを見放すようなら私らは当の昔に消えてしまっているさ。そうじゃないんだよ早苗、私は要件が合わないと言ってるんだ」
「と、申されますと」
「繰り返すけど捜索は無理というものだよ。でもあちらに見つけ出してもらうのは容易い話さ。異変を起こせばいい」
「成る程。確かに博麗霊夢らは異変を解決するために『雲』の中へと入り込んだ。ならばこちらが異変を生じさせれば釣り上げるのは容易であると」
「そういうことさ。さあ諏訪子。お前ならどんな異変を生じさせるかね?」
「んーと。伊吹山縁の四六の大蝦蟇を召喚するとか。ビルの鏡面に映った己の醜い姿にたら〜りたらりと脂汗を……」
「蝦蟇の油、って口上売りかい。すると高田馬場が相場だね。だけど諏訪子、大蝦蟇の召喚なんて出来るのかい?」
横山光輝を読破したからっ。だいじょ〜ぶ!」
「漫画かよ。――早苗は?」
「私ですか。そうですね……皇居を破壊するとか」
『テロ!?』

 真面目な顔しておかしいよこの娘っ、神様もドン引きだよっ。

「早苗っ、それ異変じゃない、犯罪だよっ」
「ええ!? じゃ、じゃあ、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の――」
『三島かよっ』

 さっきから藍しゃまハテナ顔だよ、おいてけぼりだよっ。

「早苗……、そりゃ思想は自由だけどさ、ちょっと偏りすぎてやしないかい? その、具体的には、右に」
「え? 神様の巫女って全身全霊で極系右翼ですよね?」
『いやその発想はおかしい』

「えっえっ? 神奈子様も諏訪子様も神様で日ノ本の守護神で神道は右派で幻想郷に来て唯一の心残りは靖国神社へ参拝にいけなくなったこととか昭和天皇人間宣言をしたことから神格性が否定されて同じ現人神としてこれはちょっと許せないなあと」
『待て待て待てそれ以上の発言は不味いから本当に不味いから』

「どうしよう神奈子、私たちの教育方針まちがってたのかなぁ!?」「いい子なんだよ……根は真面目で素直ないい子なんだよ……」



■守矢神社:仕切りなおし
「結界内部の東京がどのような状況にあるのかを説明します。とはいうものの、あの『雲』は紫様の境界を操る程度の能力ですらも無効化するほどの強力なものですので、私どもも未だ状況が不透明なのですが。博麗霊夢等の開けた『穴』からの出入りは自由であるようなので狐火を即席の式神として先行偵察は済ませております」
「へえ。用意周到だね。で?」
「『穴』を抜けると武蔵野の台地、立川周辺に出ることになります。そこから東を目指せば東京都二十三区へと侵入することとなり、博麗霊夢霧雨魔理沙らは既にそちらに移動している模様です。尚、これはまだ未確認情報で確定を急いでいるところですが、霊夢らの開けた『穴』以外に、反対側から強引に『雲』を強行突破した妖怪も存在するらしい。地図を照らし合わせるとそちら側からは船橋近辺に出ることとなるでしょう」
「強引にって……、あの『雲』には一切の攻撃が遮断されるんですよね? それに紫さんほどの結界の専門家でもお手上げだって」
「ですから、強引に、です」
 早苗の疑問に憮然と藍は答える。「極めて単純な、結界の効力を上回る暴力で『雲』を突破したのです。お陰で『雲』の拡散が増速することになってしまった」
 もっとも、と溜息混じりに藍が付け加える。「侵攻が早まったが為に、早期に異常を感知できたのも確かではあるのですが。博麗霊夢の開けた『穴』から生じた雲塵の流動は細かすぎて眼に捉えにくいが、反対側が穿たれた時に生じた雲塵は空を流れる濁流のようだ。それが不自然に幻想郷の?はずれ?へと溶け込んでいく様が見て取れた」

「内部は鳥獣、虫の類も含めた上で完全に無人。草木は目にすることは出来ますが、生命反応はなく書割程度のものと思ってください。外部から遮断されているため電気、水道、ガスなどの供給は停止。自家発電等の設備は未調査。紫様の考察によりますと、あの東京は外の世界の『それ』そのものではなく人々の幻想が集まって実体化した『東京』ではないかということです」
「要は実寸大の投影装置(じおらま)ってことだね。面白い」
「厄介なのは古来より構築・改良され続けてきた大江戸、帝都、東京魔方陣もそのまま再現されていることです。それに括りつけられている祟り神も幻想として健在であり、結界で切り取られた所為で魔方陣には綻びが生じている」
成田山不動明王の睨みが途切れたのは痛いね。別院の深川不動だけじゃ手厳しい」

 不動明王、即ち大日如来。その意は「揺るぎなき守護者」である。煩悩をかかえ、最も救いがたい衆生をも力ずくで救う為に、忿怒の姿をしている。外道に進もうとする者はしょっ引いてでも正道に戻す等、極めて積極的な介入を行うとものとされており、祟り神の暴走を防ぎ制御する役割を担うには充分な存在だが、魔方陣を組むパーツとしてみた場合、成田山から途絶している所為で影響力は著しく低下している。
 幻想郷の外の世界、日本では長いあいだ神仏習合が続いていたので神奈子や諏訪子は天神地祇のみならず外来系、ここでは仏教系の知識もそれなりに蓄えているようだ。

「神奈子、中央線の霊脈は無事なんじゃない?」
「そっちも立川で途切れているんだろう? あれは富士山の霊気を皇居に流す役割もあるんだが――出雲大社とのラインが分断されてしまっている以上はどうだろうね」
「神奈子様。それはパイプは無事でも中身がないということですか」
「そうだね。早苗の言うとおり、霊脈としては枯渇していると考えたほうがいい」

 限られた断片的な情報を提示しただけで即座に分析を展開して見せた守矢の一同に、藍は感嘆の声を上げた。
「やはり貴女方に頼ったのは正解でした。改めてお願いしたい。どうか伊吹萃香の確保を」
「心得た」
 守矢を代表し、神霊・八坂神奈子は威厳に満ちた声を張った。すがる者を安心させる、凛々しい表情であった。



■厳寒季限定屋台・湖上立喰蕎麦『わかさぎ』
「貴女から呼び出しを受けるなんてね。雪でも降るんじゃないかしら」
「今は冬よ。降ってもおかしくないじゃない。だけどそうね。貴女は冬の妖怪。私は冬篭りする妖怪。知り合ってから長いけれど、こうやって三人で蕎麦を啜るのははじめてね」
 八雲紫レティ・ホワイトロックとチルノを呼び出し、氷の張っている霧の湖の真っ只中に期間限定的に出没するという屋台の蕎麦屋で公魚蕎麦を奢っていた。紫は掛蕎麦であり、レティとチルノはざるである。
「力を貸してほしいの」
「また唐突ね。それだけ切羽詰っているの――嫌だといったら?」
「幻想郷に次の冬は来ない」

 箸の動きを止めるレティ。傍らで蕎麦を手繰る紫に冷えた視線を放つ。割烹着をつけた大妖精が心配そうに見つめ揚げている最中の天麩羅を焦がしてしまい、チルノは無邪気に?だった。

「貴女達の力が得られなければ、春を待たずに幻想郷は消えてなくなる。嘘や冗談では私はこんなことはけっして言わない。あれをなんとかしなければ、結果的にそうなってしまう」
「――何をしろと?」
「寒波を。あの『雲』から散逸した雲塵を再び押し戻し、押し留めるぐらいの大寒波と氷結を」
「人里に数多くの凍死者が出るかもしれない」
「かまわないわ。ワーハクタクには既に警告を発してある。あれの友人に炎を操る不死鳥がいる。彼女等が奔走すれば被害は最小限に抑えられるでしょう」
「人間に恨まれるのは私なんだけどね」
「恨むことが出来るのは生き残ってからこそ。自然を恨む、妖怪を憎むは幻想郷においての人間の真っ当なあり方。人間だけが貧乏籤を引くことに人里で不満が噴出するようなら、私から豊穣の神さまに口添えをして秋の豊作を確約するわ」
「本当に手回しがいいのね。貴女のそういうところ、見習わせてもらうわ」
「それで、返答は」
「チルノはどうする?」

 大ちゃんの南蛮漬けうめーっとはしゃいでいた氷の妖精はレティに話を振られて二人の大妖怪に向き直った。

「なんかわかんないけどやるーっ!だってアタイ最強だもの!」

 とびっきりの笑顔。歯に刻み葱をつけて。

「それなら私はチルノを手伝うわ」
 至極あっさりと肯き、残りの笊蕎麦を思い切りよく音を立てて啜りあげた。「ご馳走様。やっぱり冬蕎麦は大ちゃんの屋台に限るわね」
「人里には公魚蕎麦はないの?」
「わかってないわね紫」
 呆れた口調で冬の大妖怪は境界の大妖怪に云う。「一番は大根を下ろした『からし蕎麦』よ。掛蕎麦の場合は熱で辛味がなくなって『みぞれ蕎麦』に名前が変わるけど、蕎麦はやっぱりざるに限るわ。それを凍りついた湖上で味わう。こんな冬の贅沢を知らないで、よく長いこと過ごしてきたわね」
「いや私、いつもは冬眠中なんだけど」



■円筒状結界前
 守矢の三人が到着するのを藍が出迎える。レティとチルノは既に準備を整えていた。
「いつ始めるの? 私とチルノはいつでもいいわよ」
「もう始まっているわ」虚空を見上げ紫は呟く。「でもまだよ。まだ足りない」

「冬の妖怪と氷の妖精……? いったい何が始まるんです?」
「この結界を中心に寒冷低気圧の陣を敷きます。風速二十五m/s以上の猛吹雪です。お三方も飛ばされないように注意してください」
「私らは大丈夫だけど、あんたの主は何をしているんだい?」
「それが私にも――あ」
 神奈子の問いかけに首をひねる藍だが、ふと何かに気がついて紫と同様に宙を見上げた。「――博麗大結界をなぞるように気団が発生? これは」

「聴こえるわ」目を細め、紫が耳を澄ます。「幽々子が舞っている」

 ほとけには 桜の花をたてまつれ 我が後の世を人とぶらはば

「春告精(リリーホワイト)が踊っている……紫様! 白玉楼にて春の高気圧を確認。桜が、」

 身のうさを 思ひしらでややみなまし そむくならひのなき世なりせば

「これが後の先――ありがとう幽々子。これで形勢が逆転する」
 誰よりも心強い援軍。西行寺幽々子。以心伝心。八雲紫には頼れる友がいる。そのことを実感する。

 深草の 野辺の桜も 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け

「桜が開花。墨染桜が舞っています!」
「今よ、レティ、チルノ」

「やるわよチルノ。私が合図したら遠慮なくぶちかましなさい」「まかせて!」

 大円に高気圧の陣。小円に低気圧の陣。その中を凍てついた大気が吹き荒れる。薄氷に閉じ込められた雲塵がごぉごぉとうめきを轟かせ乍らうねりをあげる。陽の光は厚く遮られ、どす黒い雲泥が幻想郷中から掻き集められる――冬の妖怪、唯一人によって。
「へえ、たいしたもんだね」
 乾を創造する程度の能力を司るもと風の神が感心したように呟いた。神の力と境界操作により、彼女たちの周囲は天候異常の影響を遮断している。「何をする気なのかは了解した。だけど出来るのかい? あの妖精に」
「できるわ」誰ともなく呟いた神奈子に紫が応じる。「直径六十km全体を凍らせるのは流石に無理だけど氷結の連鎖反応で結果的にはそうなる。あの子はいつもどおり何も考えず、一つの標的を凍らせることに集中していればいい」

「今よチルノ!」「パーフェクト・フリーズ!」

 雲泥の巻きついた円筒結界の表面スレスレに、等間隔に氷結スポットが展開する。「境界を弄くって分散させたか。やるね」「まあね」スポットは即座に周囲を氷の皮膜で覆い尽し、あっという間に巨大な氷柱の塔が誕生した。
「――と。ざっとこんなもんね」
 肩で息をし乍らレティが微笑む。呆然と結界を見上げていた早苗だが、ふと我に返る。「こんなことが出来るなら、萃香さんを捜す必要なんてないんじゃないですか?」
「これはあくまでも応急処置、時間稼ぎにしか過ぎないわ。熱で溶けるし被害(デメリット)を考えると何度も使える手段じゃない。切札はあくまでも伊吹萃香。あの鬼が勝負を決する」

「行くよ諏訪子。早苗」
「お待ちください」
 二柱に続いて霊夢の開けた『穴』に突入しかけた早苗を、藍が呼び止めた。「これは云おう、云おうとして今まで先延ばしにしていたのですが――、内部では電気、ガス、水道の供給が遮断されています」
「? それなら聞きましたよ?」
「水道施設が使えないのです」
「はあ」
 藍の云わんとしていることが解らず早苗は首をかしげる。察しろと藍が凄む。秒針がぐるりと回るあいだ困惑したまま互いに顔を見合わせる二人に、含み笑いを浮かべ乍ら紫が助け舟を出した。
「つまりね。急に催したとしても御不浄――水洗トイレは使えないってことよ」
「っ!?」
 ようやく事の重大さを理解した、いやしたくはなかったが、理解せざるを得ず、白くなり蒼褪めた早苗が紅潮して絶叫する。「な、なっ、なぁっ!? なんなんですかそれはっ、他の皆さんはどうしているんですか!」
霊夢魔理沙には主人公補正がある」
 テンぱり喚く早苗に紫が説明する。「吸血鬼にはカリスマ補正。メイド長には瀟洒補正。神様には威光補正。烏天狗は飛びながら」
「飛びながら!?」
「白狼天狗には電信柱が。けれども貴女には」ずばり、と。「何もない」断言した。
「あ、ありますよ! あるに決まってます! 奇跡補正とか現人神補正とか乙女の根性(プライド)補正とかそんなかんじなのが私にもっ」
「何もない」
「繰り返さないでください!」
「だからこれは餞別にあげるわ」どこからともなく取り出した紙袋を早苗に差し出す。「紙おむつ」
「いりませんっ」
 顔を真っ赤にしながら早苗は手渡された紙袋をぶん投げた。
 スキマ妖怪はおおいに困惑する。「もしかして尿瓶のほうが良かったのかしら」「そういう問題ではないかと」



■東京・港区
 目についた『紅白の塔』に降り立ってしばしの休憩をとる魔理沙霊夢。その塔が外の世界で東京タワーと呼ばれていることを二人は知らない。
「ここらが中心部なんじゃないか? それとももう少し先か。霊夢はどう思う?」
「んー? どうかしらね」
「おいおい、なんだか元気がないぜ。いったいどうしちまったんだ?」
「誰にも出会わないなと思っただけよ」
「そうか? レミリアに咲夜、ほかにも結構いたような気がするけどな」
「それは幻想郷の連中でしょ。そうじゃなくって此処の住人――外の世界の人間によ」
「そう云われてみれば、人の気配がまったくしないぜ」
「前に、茶飲み話に早苗に外の世界のことを聞いたことがあったけど。魔理沙、ここにどれぐらいの人たちが住んでいると思う?」
「そうだなあ。……千人とかじゃないことだけは確かだな。一つ0足して一万人か、もう一つくわえて十万……はさすがに多すぎるか」
「千二百万人よ」
「せ――っ!?」
 あまりにも途方もない数値が霊夢の口から飛び出して魔理沙は絶句する。「そりゃさすがに嘘だろ」「本当よ」

「百年ぐらい前の大きな地震でいちど、五十年前の大きな戦争でもういちど、この場所はすべてを失ったらしいわ。最初からたった五十年でこれだけのものをつくりあげたの」
「あたしらにとっちゃ五十年は五十年だが、妖怪にとっちゃつい先日だよな。なんだよそれ。外の世界にはにとりのような奴らが一杯いるのか?」
「神奈子の話だと昔、この国には戦争があった」

「この国は海の向こうの連中と戦っていた。海の向こうの連中は圧倒的な武力と物量を持っていたけど、この国にはほとんど何もなかった。海の向こうの連中も人間だけど、この国とこの周辺――神奈子はあっちは白人でこっちは黄色人種とか言ってたけどよくわかんなかったわ――それでこっちの人間のことを、下等な人間だと決めつけてたんだって」
「? どっちも同じ人間なんだろ?」
「同じ人間よ。同じだけど、対等な人間とは見なされていなかった。圧倒的な武力を背景に不当な要求を突きつけられて、ものすごく悔しい思いをしたんだって」
「神奈子や諏訪子はどうしたんだ。八百万の神々とやらは黙ってみていたのか」
「人間同士の争いには神様は手出しをしてはならないのが古からの不文律。何かしたくとも、できないのよ」

「ある日。絶望的な要求(ハル・ノート)を海の向こうの連中は突きつけてきた。それを呑んだらこの国は滅んでしまう」
「――どうしたんだ」
「戦いを選んだ。幻想郷の人里の人間が山の妖怪たちと戦っても勝負は最初から決まっているように、それ以上に絶望的な戦いだったらしいわ。それでもこの国の人々は戦いを選んで、戦って、戦って、戦って、敗けた」

 霊夢の言葉が重く圧し掛かる。
 二人は戦争を知らない。「弾幕ごっご」はあくまでも「ごっこ」であり、本当の意味での戦闘ではない。多対多の集団戦を二人は知らない。一方的な殺戮を知らない。敗北を認めた者への武力行使を知らない。ありとあらゆる卑劣な手段と、それらを上回る残虐な行為の罷り通る戦場を、千年経っても終わらない戦争を、二人は知らない。

「戦争に敗けて国を占領されて、いっぺんに全部なくして、それでも負けるもんか、負けるもんかって歯を食いしばって、再び立ち上がってここまで来たんだって。反骨精神というか向上心というか、とにかくそれだけのエネルギーを秘めた人たちがここには大勢いた。それなのに今は一人残らずみんな消えてしまっている。いったい何処に?」
 誰ともなく訊く霊夢の問いかけは東京の空に吸い込まれていった。
 東京タワーから地の果てまで広がる無人の街並が見える。立ち並ぶ高層ビルの群れは何故か虚しげで、
「違うぜそれは」
 魔理沙の声が力強く響いた。
「消えたんじゃない。そいつらは初めからいなかったんだ」
 霊夢魔理沙の横顔を見つめる。「そんなすごい奴らは大結界をこじ開けて無理やり入ってきたりはしない。忘れられもしない。否定されもしない。外の世界が今どうなっているかなんて私にはわかりゃしないけど、たとえ絶望的な世界になっていたとしても、何処かで誰かがまだ諦めていない限り、そいつらは何度でも立ち上がるんだろう。霊夢、そいつらは最初から幻想入りなんかしてなかったんだ。外でまだ踏み止まって、未だに何かと懸命に戦っているのさ。負けるもんか、負けるもんかって歯を食いしばりながら」



■谷津・バラ園
 風見幽香は酷く静かに激昂に身を震わせていた。メディスン・メランコリーは黒いマフラーを首に巻いた、片手袋の妖怪を見上げる。二人の目の前に冬のバラが咲き誇っている。筈だった。
 かつてはここに遊園施設があり、バラ園はその施設の一つであった。昭和三二年五月二七日に秩父宮妃殿下をお迎えして開園。当時は東洋一のバラ園として人々に親しまれてきた。七〇〇種六三〇〇株、今は冬薔薇(ふゆそうび)が二人の来訪者を出迎える。筈だった。
 人間と薔薇の歴史は長い。古くは古代バビロニアの時代から、人間は薔薇を愛してきた。香油として、薬草として、或は単に観賞用として、人間は積極的に薔薇と触れ合ってきた。
 幽香もまた、薔薇を愛する妖怪である。彼女を象徴とする花は向日葵だが、薔薇もまた夏の季語ともされる花である。夏の薔薇は二、三日で散ってしまうが、この時期の薔薇は長いあいだ花を咲かせる。春や夏に咲き誇る品種と比べて小ぶりで美しさでは見劣りこそするものの、他の季節の薔薇にはない野性味と力強さがある。そんな冬の薔薇を楽しみにしていたのに、裏切られた。単なるこの身に対する裏切りなら甘受もできよう(報復はするが)。
「これは花に対しての冒涜だわ」

 幽香(フラワーマスター)の眼前には一面の青い薔薇が咲いてみえる。

 青い色素をもつ原種が発見されなかった為、つい最近まで青い薔薇の存在はなかった。青と冠する品種はどれも紫や藍色、藤色に近く、これは赤い薔薇から赤い色素を抜くことで生み出されるからである。昨今では薔薇独自の青い色素(ロザシアニン)が発見された為、遺伝子操作によって幾つかの青い品種が誕生しているが、これらは致命的に殆ど花粉を出さない故に交配親としては不向きとされている。青い薔薇とは、今でも偽りの代名詞なのだ。

 『東京』とともに幻想入りをした生命体は存在しない。二人の眼前には冬の、造花の薔薇が咲き狂っている。
 幽香は激怒した。
「なんなのこれ? 毒にも薬にもなりゃしない。愛おしさが沸かない。これを作った奴には花を愛でる価値はない。外の人間は何時の間に花を愛する心を喪ってしまったというの? それとも『誰か』が私に喧嘩を売ってるのかしら?」
 そもそも、花の中で生きるというのが真っ当な生き方というものだ。息苦しい人工(コンクリートアスファルト)の街並みで花を狭く囲ってしまうという概念は、幽香には理解できない。
「毒もないのか」
「ないわね」
「じゃあ乗っ取ろう! 毒にも花にもならない場所なんか人間にはもったいない。あたしと幽香の庭にしよう」
「いいわねそれ。メディはどんな花が好いと思う?」
「鈴蘭! ……には早すぎるか。冬の花で毒持ちならシクラメンなんかがいいんじゃない?」
「この空間、どうも季節感が希薄過ぎるのよね。私達の屋内庭園を一面の花で満たしましょう」

 おほいなるものの ちからにひかれゆく
 わがあしあとの おぼつかなしや

 九条武子の歌碑を口ずさみなら幽香が指を鳴らす。花符「幻想郷の開花」。着弾した弾幕はそのまま種子球根となって地中に埋まり、青い薔薇を蹂躙し乍ら篝火花(シクラメン)が次々と姿を現す。
 支配領域は瞬く間に拡がり、ゆっくりと。西へ。

「えっと、幽香? これはちょっとやりすぎなんじゃ……」
「そうかしら」
 バラ園乗っ取りを提案したメディだが、S(サディスト)調フラワーマスターはどうも拡大解釈したようだ。意図的に。
 くすり、と微笑む。
「天に向日葵。地に鈴蘭。季節の花々。それと虫。生命四十億年の歴史の渦中で巨大な竜が花に逐われた様に、追込みをかけるのよ。私達に喧嘩を売った奴をね」



 一方その頃。
 大井競馬場では萃香が酔っ払っていた。



■東京・多摩地域上空
「へえー結界の中って意外と明るいんですね。神奈子様どうします? とりあえずはこのまま進みますか?」
「時間の許すだけ、全域から見られるようにできるだけ都心に近づきたいね。杉並、中野、無理をして新宿。最低でも武蔵野、三鷹までは行くとしよう」
 『穴』から立川に抜けた守矢一行はそのまま東、国立方面へと飛行を続ける。
「ところで二人とも。何か違和感を感じないかい?」
「え? 私は何も……諏訪子様はどうです?」
「あのさ。それって神奈子が早苗のブルマを履いているからじゃないかな」
「おや。道理でキツくてムレると思った」
「なっ、なに勝手に履いてやがってますか!」
「いや、丈の長いスカートとはいえ流石に空を飛ぶのに下半身が無防備というわけにもいくまい? それに、こっちに来てから早苗はドロワーズばかり履いているようじゃないか」
「でも似合ってないよねー」
「それは云い過ぎだろう諏訪子。幻想郷での主流はドロワらしいからね。なに、そのうち早苗のドロワ姿も見慣れてくるさ」
「見慣れるってなんですか! 見せませんよっ」
「いや。似合ってないのは神奈子のほう」
ケロちゃん酷いっ」
 二柱の神々と現人神、大いに姦しく残月の真下、一路東を目指す。



 一方その頃。
 国道三五七号(湾岸道路)に寝そべって萃香は酔い潰れていた。



■東京・大手町
 老朽化したこじんまりとした建物と入れ替わるように、新築の高層ビルが乱立する過程の町。これは以前、この地域が皇居周辺ということもあり建物の階数に厳しい建築制限があったが、現在はそれが緩和された為である。
 幽々子の持たせてくれたお弁当を手に、魂魄妖夢は途方にくれていた。
「封印って……、何処にあるんですか? 幽々子様ぁ」
 白玉楼を出立するとき見送ってくれた主人を憶い出す。その笑顔の下に、今回はいったいどのような魂胆を隠しているのか。常日頃から幽々子の思いつきに翻弄されている従者としては、せめて事前に解り易い説明を求めたいところではある。なにしろ自分は「剣術を扱う程度の能力」。斬った張ったには自信はあるが「寝ぼすな紫の代わりに上京して改めて封印をしてきなさい」と云われても――。

(まさか、言葉通りの意味ではないですよね? 幽々子様)
(あら妖夢。封印をしろという言葉に、それ以外にいったいどんな意味を含むの?)

 出るのは溜息ばかりだ。「斬れぬものなど、あまりない!」が信条の妖夢としては、それ以外に得手とすることなどあんまり、ないのだ。

(封印、と云われても……、それって霊夢の分野なのでは? 博麗の巫女ならば今回も異変解決に身を乗り出している筈。あ、霊夢に封印を頼んで来いということですか?)
(いえいえ妖夢
 戸惑う従者を可笑しそうに見つめながら幽々子は断言した。(博麗の巫女は最後まで動かない。だから封印は貴女がするのよ)

 異変が起きているのに、霊夢が動かないということはあるのだろうか。現に東京の空を魔理沙と並走して飛んでいる姿を、妖夢は目撃しているのだ。既に巫女は動いている。ならば自分の役割とは? 頭がこんがるばかりだ。
 巨大な作り物のガマの前でむむむ、と唸っていると、
「お腹がすいたのだー」
 台東区の方角から、宵闇の妖怪がふらふらと流れ着いてきた。
「お弁当もっているのかー。食べてもいい? 食べてもいい?」
「だめーっ! これは幽々子様が私のために用意してくれたお弁当なんだから、食べちゃ駄目!」
「駄目なのかー? だったら、」

「お前は食べてもいい人間?」

 腹の底から吐き出されたルーミアの声にはっとして妖夢は抜刀する。
「そういえばお前は人食いの妖怪……! いいだろう。半人半霊の私を喰らうか、私の剣を貴様が喰らうか、試してみるのも面白いっ」
 悩むより、こちらのほうが性に合う。喉奥で剣士が嗤う。
 だがしかし。剣先を光らせながらじりじりと間合いを詰め寄るシリアス妖夢を置き去りにして、ルーミアはコミカル路線へと前のめりに行倒れる。「お腹が減りすぎて力が出せないのだー。もう駄目」
「え、あ、ちょっとっ。ここから辻斬りと人食いの伝綺的戦闘シーンじゃない! こらー、勝手に倒れるなーっ」



■東京・大手町
「デザートは柘榴なのかー。人間には劣るけど美味しいのだー」
「しくしく。幽々子様のお弁当が」

 幽々子様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。幽々子様のお弁当は、ルーミアが美味しゆういただきました。ええ、すべて平らげられてしまいました。

「うう〜、ルーミアはなんだってこんなところにいるのよ」
「ふだんは夜道を歩いている人間ぐらいしか襲っちゃいけないから、ここなら霊夢や慧音もいないし人間が食べ放題だと思ったのだ」
 柘榴にかぶりついたまま、夢の踊り食いをしてみたかったなーとのたまう。
「で、誰にも出会わずにこんな奥まで来てしまったと。……はあ。あのなルーミア幽々子様の話だと、この『結界』内には外の人間はいないらしいぞ」
「そーなのかー。妖夢はなんでここにいるんだ?」
「私は幽々子様のお使い。そうだルーミア、おまえ『封印』とやらを見なかったか?」
「ふーいん?」
「そう。幽々子様はこの東京にある封印のことを非常に気にされててな、それが解けてしまうだろうから私に再度『封』をして来なさいと、そうおっしゃったのだ」
「封印かー。それはいったいどんなものなの?」
「わからない。幽々子様は『一目見ればすぐにわかる』としか教えてくださらなかった」
幽々子は意地悪なのかー」
 宵闇の妖怪の無邪気な発言に、妖夢はひどく気分を害した。
「それはちがう。確かに幽々子様は私に対してもなかなか真意を悟らせてはくれないお方だが、それは私が未熟で半人前だからだ。私がもっと優秀な従者であれば、幽々子様の意図も察することが出来る筈なのだ。だから幽々子様のことを悪く言うな。あのお方は半人前の私に『お腹を空かせているだろうから多目にね』と特盛弁当を用意してくださった優しいひとなのだぞ」
「特盛だったのかー」
「そうだよ」
「……わたし、一人で食べちゃった。ごめんね」
「もういいよ。それだけお腹減ってたんでしょ。しばらくして動けるようになったら、ルーミアは帰りなさい」
 立ち上がり、スカートをはたく。「私の半霊(ゴースト)が囁いている。霊的な磁場がひどく不安定になってて危険だって。私も嫌な予感がする」
妖夢はどうするの?」
「封印を探さないと」妖夢は自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。「幽々子様が行末を案ずる程の『封印』。放って置く訳にはいかない。それに、万が一私の手に負えないようであれば斬って捨てろともおっしゃっていた。ああそうだ。そちらのほうが私の領分ではないか」
 口にしたところで、少しだけ気が楽になった。

 妖夢は再び歩き始め――数歩歩いて、おもむろに振り向いた。
「何でついてくるの?」
「私も手伝うのかー」
「は?」



■東京・東池袋
 都内を一望できる場所としてサンシャイン60の屋上を橋頭堡に選んだ射命丸文。背中合わせに犬座りしている犬走椛が『東京』の端々にまで目を光らせている。
 それぞれ赤帯に毛筆で「斥候」と書かれた腕章を巻いている。袖に腕を通してこそいないものの、二人は青・灰・白を基調とした都市迷彩ジャケットを普段着の上から羽織っていた。頭上からの対地攻撃を想定した、大型の偽装傘(カモフラージュ・パラソル)は北アフリカ戦線でエジプトに侵攻したイタリア軍が使用していたビーチパラソル(幻想入り)を彩色改装したものである。

 四方の一角を屋上出入口で、向い側を防弾幕性の組立固定式・半透明射手防護壁盾(スナイパー・シールド:にとり作)でガードし、残った二方の見張りを互いが受け持ち乍ら――二羽の天狗は飯にありついていた。

「信じられますか椛。これだけの広範囲な領土が出現しておきながら、幻想郷の土地は一辺たりとも侵蝕を受けてはいない」

 背中越しに聞き乍ら文の手作り握り飯をぱくつく。海苔ではなく塩漬けにした桜の葉を巻いた球形の炊き出し風、高菜と牛蒡、猪の干肉を詰め込んだいわゆる山賊結びである。これを竹製の水筒で胃袋に流し込む。携行している握り飯はこれ一つ。残りは味噌に米粉胡麻梅肉、数種類の薬草、水飴を合わせて丸め、乾燥させた不味い兵糧しかない。

「空間を歪めた? それだけじゃないな、錯視も併用しているんですかね」
「いい線いっていると思います。で――、やはり椛にも見えませんか? その『千里先まで見通す程度の能力』でも」
「西部方面の侵入経路中心に好奇心旺盛な妖精多数。東の最果てから篝火が扇状に増大」
「篝火? 火災ですか」
「いえ、花です。篝火花(シクラメン)が異常発生。それと巨大な向日葵がビルを次々と押し潰しています。被害は尚も拡大中」
「あの人ですか」
 花を操る危険な妖怪といえば、彼女しかいない。
「南方。東京湾停泊中の不審な屋形船を捕捉。――訂正。閻魔様と死神です」
「遊覧とは暢気なものですね」
 千里眼を持たない烏天狗はそうぼやくが椛の視る限り、並んでカップ麺を啜る緊迫を維持したあの面差しはどうみても最前線配備された、鉄火場慣れした将校と兵士の顔だ。犬(つわもの)の顔だ。今の自分たちも、きっと同じ面構えをしているのに違いなかった。

「我々(ビル)の真下を辻斬りと宵闇が通過中」
「これは珍しい組み合わせですね」
「西端より高速飛行物体三、高度三〇〇、五〇〇……上昇しつつ最大速度で直進。守矢神社の神々です」
「おや、もと外来の神様たちも来ましたか。里帰りですかね」
「そうではないと思いますが。紅白・黒白、東京タワーより離脱、微速にて北上。千代田区霞ヶ関方向に移動。紅魔館の吸血鬼、及びメイド長と合流する模様」
「あの二人も難儀しているようですね。今回ばかりは勝手が違う」
秋葉原に河童。喜色満面と電化製品を漁っているようですね」
「いいなあ。特務がなければ私も外のカメラを物色したかったんですけどね。――で、無人と」
「ええ。文さん、確認の出来る現地住民は皆無です」

「おかしいと思いませんか椛。これだけの土地の所有者、支配人、この異変を引き起こした黒幕――がこの期に及んでも姿を現さないなんて」
「そのような人物など、初めから存なかったのでは?」
「その場合、所有権を巡っての妖怪たちによる争奪戦が危ぶまれますが。――前例がある以上、楽観視は危険です」
「前例、ですか?」
「迷いの竹林のことですよ。あれは元々幻想郷の外にあった、因幡国の高草郡と呼ばれていた場所。土地の幻想入りは稀少ではあるものの、皆無ではない。あの竹林を例にすると、その所有者を自称しているのは嘘つき兎です。最近の例では早苗さんたちも守矢神社と湖(エレキング棲息)ごと幻想入りしてきましたし。だからこの『東京』にも統治者がいるのではないか――というのが大天狗様、ひいては天魔様のお考えです」
「はあ」
「その様子だと解っていませんね。我々以上の高度な技術を有した文明圏が突如として妖怪の山の鼻先に現れた。天魔様は危惧されているのですよ。相手の明確な意思を確認しない限り、最悪の場合も想定し、準備しなければならないと」
「戦争(いくさ)になりますかね」
「嫌ですよね、あれは。妖怪の山では既に臨戦態勢が整えられつつあります。とは云うものの表面上は哨戒天狗(E−2C:ホークアイ。丸盾型レーダードーム装備)を増員した程度にすぎませんけどね。現時点に於いては山に直接の被害がもたらされたわけでもなく、ならば麓の怪異は麓の者たちに任せるのが筋ですから。しかし有事を踏まえて情報収集を怠るわけには行かない。だからこそ、私達を潜入させて未知なる来訪者の真意を探るお心算りなのでしょう。私は従軍記者として。貴女は軍用犬として」
「犬じゃないです。狼です」もはや常套句となってしまっている台詞を返す。「それに文さんの話だと肝心の軍隊が抜けているじゃないですか。軍人は誰なんです?」
「何を云ってるんですか。椛、軍人なんていないほうがいいに決まっているじゃないですか」



■東京上空・高度千五百メートル
 雲で、文字(メッセージ)を書く。
 それが神奈子の発案だった。

「航空ショーで飛行機雲を使ってハートマークとかを空中に描いたりするアクロバットがあるだろ。私と諏訪子が雲底から雲を掻き集めて配置するから、早苗は指示を出しとくれ」
「文章はどうしますか?」
「手短なのがいいね。戦争だー、萃香を捜せー、という奴を英文で」
「英文!? いま鬼畜米語と申されましたかっ?」
「お前は何時の時代の生まれなんだい」
「突っ込んだら負けだよー神奈子。早苗、英語は苦手だったっけ?」

「というかですねっ、勉強が好きで得意だったら学校のない幻想郷には来てませんでしたよっ」

「云っちゃったよこの子」
 けーねには聴かせられない早苗さんの青春の主張でしたとさ。

「だいたい幻想郷の皆さんにアピールするなら日本語でいいじゃないですかっ」
「あのね早苗。無風状態にして雲を空中に固定するといっても、自然と流れてしまうもんだ。こればかりはしようがない。寄席文字や相撲文字みたいに潰れてしまったら判読できなくなるよ」
「アルファベットなら字画が少ないからねー。意味が通じればなにも正確な文法じゃなくたっていいんだからさ、WARとかSuicaとか単語を並べてそれっぽく、いかにも勉強の苦手な子が頑張ってみました! みたいなの」

 頑張れ早苗さん。頑張れ俺の嫁

「天地あり。然る後、万物生ず――さあ、はじめようじゃないか。この雲が『雲』ではなく、幻想郷を流れる恵と禍の雲であるならば、私(天神)に従え」
「私(地祇)に従え。我等(神祇)に従え。我等(守矢)は八百万の神々の末席にして幻想郷の新参。主等からすれば外来忘却の小物なれど、鉢の木の心得は古参にも負けじ。雲よ。雲の精霊よ、妖精よ、御霊よ、雲神よ。今は幻想郷の一大事。漠然と漂っておる場合か否か、漫然と惰眠を貪っておる場合か、否かっ!」

『従え!!』

 従った。



 一方その頃。
 浅草雷門では風神雷神大提灯にすげー、でけーっと感嘆の声を漏らし乍ら、萃香が酒を浴びていた。



■東京・サンシャイン60屋上
 束の間の食後の一服を満喫する文と椛。パッケージには弓の先に止まった金鵄がデザインされている。フィルターのない、現在日本で流通されている銘柄の中で最古の紙巻『ゴールデンバット』の大戦期版である。文はこの空箱をフィルムケースとしても流用するほど愛煙していた。製造時期や湿度によって相当に味の変わるのが他の銘柄にはない大きな特徴であり、烏天狗達に広く愛好されている。
 と。柵を飛び越えてすたりと着地する人影に一瞬、虚をつかれ――壁盾に備え付けられているピストルポートで狙いを定める烏天狗と丸盾をかまえナマクラ刀(非殺傷打撃刀剣)を抜いて飛び掛る姿勢を取る白狼天狗に対し、妖夢は両手を左右に振り乱し攻撃の意思がないことを示した。
「待って、撃たないで! 私です、妖夢です」「私なのだー。歓迎されていないのかー」
「なんだ、妖夢さんたちですか。どうしてこちらに? というか、ここに私たちがいることを知ってたんですか?」
 あっさりと警戒を解き盾を飛び越えて文が二人の前に着地する。
「いや知らない。私たちは見晴らしの良さそうな場所ということで此処に来たんですけど――やけに厳戒ですけど、何かあったんですか?」
「何もありませんよ。でも一応は敵がいるかも知れない陣地ですからね。念には念を入れてという奴です」
「はあ。そうですか」
 弾幕戦、じゃれあい程度の実戦しか知らない妖夢は天狗達をやりすぎなんじゃないかと思ったものの、自分には関係ないかと気にしないことにした。
「それよりも妖夢さんとルーミアさんて珍しい組み合わせですよね。いつからそんなに仲良く?」
 文花帖を広げ『清く正しい射命丸』モードで尋ねる文にげんなりと答えた。
「こいつがお腹をすかせて出会いがしらに倒れたので、お弁当をあげたら懐かれた。丁度いい、こちらからも訊きたいことがある。封印を知らないか? 私は幽々子様のお使いで、この街にあるという封印を探しているんだ」
「封印? 将門様のことですかね」
「それなら私も知っている。私も確認したが、幽々子様は違うと云っていた。祟り神とは別の封印だ」
「別の?」即座にきっぱりと否定されて文は眉をひそめる。「他に封印的なものってありましたっけ? 椛はわかりますか?」
「文さんが知らないなら私だって知りませんよ。それよりも宵闇妖怪をどうにかしてくださいよっ。じりじり迫ってきて怖いんですけどっ」「犬の肉は美味しいのかー?」「犬じゃないっ」

 きゃんきゃうんわんわんわん。

「うるさい外野はほっといて。すみません妖夢さん。お役に立てそうになくて」
「いえ。それよりも、こんなところで野営? をしないほうがいいですよ。早々にここは吹き飛ぶ」
「――どういうことです」
 目の前の烏天狗が風神(記者)モードから山妖(戦士)モードに切り替わったことに妖夢は気がつかない。
「どうもこうも。幽々子様の話では、魔理沙らが東京を破壊する所為で魔方陣が消滅する。それで祟り神が復活するということらしいです。此処は間違いなく、消し飛びますよ。そういうわけで私も巻き込まれないうちに務めを終えて退散したいのですが」
 とんでもないことを告げられ、文は叫んだ。「椛! 撤収準備! 現地を放棄、区外、いえ東京湾へと転進します!」
 何故、魔理沙が東京を壊滅させる行為に出るのか。疑問はあるが幻想郷において八雲紫八意永琳と並んで最上位の策士とされるあの西行寺幽々子が断言したのであれば、その「読み」は間違いなく現実のものとなるだろう。

 アレが本領発揮したなら区外といえども安全地帯ではない。なぜ閻魔が遠巻きに待機していたのかに今更気がついて文は舌打ちした。敵情視察を帯びた文と、あくまでも祟り神の監視に重点を置いた閻魔の任務の性質の違いこそあれ、前進しすぎたことを悔いる。「私もまだまだですね」
 両手を広げて圧し掛かるルーミアを蹴り飛ばし「は、はいっ」、椛が壁盾を四枚に分割、更に三つ折に重ねてケースに仕舞い込む。続いてパラソルを折り畳む椛の下っ端姿を尻目に、文は妖夢に尋ねる。
「随分と落ち着いてますね。祟り神の復活がどれだけの禍を招くのか、それを想像できないわけではないでしょうに」
「ええ、我々には為す術もないでしょう。せめて村正でもあれば辛勝して見せますが。しかし守矢の神々に掛かれば将門も雑魚同然と幽々子様が仰っていましたから」
「? それはどういう」
 訝しみ、文が追求しようとしたとき。

 ――頭上で異変が起きた。



■東京・立川

 妙に硬くて寝心地の悪いベッドでパチュリー・ノーレッジが目を覚ます。「ソファー? ここは」「あ。お目覚めになられました? でも、無理をしないでまだ横になってた方がいいですよー」使い魔の小悪魔が、シーツの代わりにパチュリーにかけていたカーテンのずれを直す。
「小悪魔。ここは何処なの」
「入り口には『都立多摩図書館』てありましたけど……どうしたんですかパチュリー様、突っ伏したりして」
多摩図書館って……、立川よね?」
「はい。立川です」
 主人の心を知らず。にっこり微笑んだりなんかして、小悪魔が答える。
「それよりもパチュリー様。お体の具合はどうでしょ」
「そうね。双六でいきなり一の目が出て、いきなり一回休みの升目に止まった気分、と云えば解るかしら」
「はあ。それはまた随分とどん底な気分ですね」
「最悪な気分よ。本当に最悪。国会図書館までの道程は私には遠すぎる」
「私にとっても永田町は遠すぎますね」
「嘘。あんたならひとっ飛びじゃない」
「ええ。私だけなら。パチュリー様は倒れるまでのことを覚えてます?」
「――確か、ふらふらと飛行していたら残月が眩しくて立眩みを起こしたのよね」
甲州街道という道路で倒れたんですよ。動かない日陰少女がいきなりアクティブになって日向に出たものだから、貧血にでもなったんですかねー。そのままにはしておけないし、近くの建物にでも運ぶつもりだったんですが、パチュリー様思いの私としましては、やはり小さくとも図書館の方が喜ぶんじゃないかと思ったわけですよ」
「小悪魔……。怒ってる?」
「別に怒ってませんよー」笑顔で。

 むしろその笑顔が怖くてパチュリーはむきゅーとなった。

「こ、小悪魔にも迷惑をかけたわね。ありがとう。それとごめんなさい」
「いいんですよー。でも迷惑したんじゃなくて心配をしたんですからね。そこのところを間違えないでください」
「う、うん」
「今日のところはこれでも読んで大人しくしててくださいね」

 テーブルの上にどん、と置かれる中里介山大菩薩峠』全四十一巻。破天荒な辻斬りといつまでも続く慶応三年の秋の物語。最後まで読破しても、未完なのである。なにこのチョイス。

「わからない。小悪魔。あなたの心がわからないわ」
パチュリー様、寝起きで喉が渇いてません? いまココアでもお持ちしますから」

 よいしょ、と、小悪魔がやたらと重そうなハンマー(十六t)を振り上げた。

「ちょっと待てーーーい! なによそのハンマーはっ」
「え? パチュリー様ココアはお嫌いでした? でも紅茶はあまりお勧めじゃないんですよ」
「だ、か、ら”っ(喘息)。――私、からかわれているのかしら」
「いえいえ。パチュリー様が寝ているあいだに給湯室にいってみたんですよ。でも、ガスも水道も使えなかったんです」
「それで?」
「それでハンマーでココアを」
「待ちなさい。どうやればハンマーでココアが作れるのよ。それともなに、悪魔の世界じゃそういう使い方があるの?」
「悪魔の世界にはあるかもしれませんねー、知りませんけど。でも小悪魔の世界にはありませんよ?」
「それじゃなによ、そのハンマーは」
素手じゃ自動販売機とかいう機械を壊せませんから」

 なるほど。

「前に魔理沙香霖堂という古道具屋から持ってきたものを見たことがあるわ。確かテトラパック(三角紙パック)ジュースという奴ね」
「ええ。先ずはハンマーで自動販売機を壊して、コインを取り出してですね。それを隣の自動販売機に投入するわけです」
「……電気、使えないんじゃない? ここ(広間)の照明もついてないみたいだし」
「ががーん」
「いいから。販売機壊してジュースでもなんでも取ってきなさい」
「嫌ですよーパチュリー様。それじゃ魔理沙(泥棒)さんじゃないですか」
「お金を取るのはいいのか」

 その前に器物損壊だ。

「? お金って金貨や銀貨のことですよね。それ以外の金属硬貨は石ころと同んなじです小悪魔的に」
「金貨銀貨なんて一体何時の時代の話よ。それに金銀以外の硬貨も馬鹿に出来ないのよ。例えば純ニッケルは特殊鋼や薬莢等の軍事物資の素材になるから、戦時に備えて平時に硬貨として国内に流通させておいて、いざ必要なときに回収することも――」
パチュリー様?」

 不自然に途中で唇を止めた魔法使いに、小悪魔が首をかしげる

「――いま、何か天上を伝播しなかった? 『従え(アデアット:来れ)!』と」
パチュリー様。とうとう毒電波まで受信されるように……よよよ」
「馬鹿なこと言ってないで確かめて頂戴。私の位置からじゃ窓の外は見えないのよ」
「はーい」

 窓辺に移動する小悪魔。溜息を一つつくと、パチュリーは深く俯き思考を開始する。

「今のは属性魔法? 召喚? でも私の知るどの魔法とも違う。だとすれば陰陽、密教神道系? よくわからないわね」
「わあ!」
 と。小悪魔が子供のような歓声を上げたので思索を打ち切る。「パチュリー様! 凄いですよ、雲が文字のような形で並んでますっ。不思議ですねー、異変ですかねー。あ、ちゃんと読める、のかな?」

「ちょっと読み上げてもらえるかしら」
「はーい。『Sanae ha ore no yo』」

「それは唯のノイズ。他には?」
「えっと……『ultima ratio』?」

「『最終手段』。中世の君主、即ち『統治者』にとって暴力とは『最初の手段=プリマ・ラティオ』である。それに対して民主主義社会の『政治家』は暴力を『最後の手段=ウルティマラティオ』とする。究極の理論としての武力行使。『ultima ratio regum』はローマの格言ね。『戦争とは、王達の最後の議論』……戦争?」

「絵文字ですね。私みたいに頭の横からこんな具合に二本の角が……これは鬼ですかねー」
伊吹萃香。密と疎を操る程度の能力者で、鬼。萃まる夢、幻、そして百鬼夜行

「絵文字の横にまた文字が描かれてます。『Shi is war lock』……『彼女は悪魔(ワーロック)です』?」
「女性の鬼を示すなら『ogres』、もしくは単に『ogre』を使うでしょう。『彼女は戦争に鍵をかける者である』――やっぱり戦争」
パチュリー様?」

「――何者かが戦争を仕掛けてきていて、幻想郷は危機に晒されている。戦争終結の鍵を握るのが伊吹萃香――そういっているみたいね、あの空中に描かれたメッセージからすると。Sanae、サナエ、早苗――、守矢の神々が?」



 ――【#1 『TOHO WAR』 02に続く】



■中書き
 本日公開はここまで。続きのうpは未定。ちなみに今回は自分環境で1000行程度の章まで上げましたが、実際には2000行程度まで打ち込み済みであったりします。とは云うものの、エピローグまで書いて現在は中盤ぐらいを書き込んでいるトコロなので、すぐに公開できるのは700行ぐらいですか。
 この日記だと空白の行が詰められてしまうってこと、すっかり忘れてました。ちと印象が違うのね。完全版は別形式での公開がいいのかしら。

#1『TOHO WAR』 UP準備

■注意事項
・公式設定準拠。としようと奮闘していた時期が僕にもありました。
・時代設定がおかしいとかは気にするねぃ。
・本作は動画作成用のプロット。として作成しているものであり、厳密には二次創作「小説」ではなかったりします。因みに、動画を作る予定はまったくなかったり。
・尚、上の文にあるように現在もまだ打ち込み途中の作品の為、完成稿ではありません。てか毎日のように全文から誤字脱字の修正やってるよ! ちっともなくならないぜぃ!

 ――とまあ、こんなものかしら。
 本文のほうは、今晩か明けて15日にでもうpするのでし。
 一度に上げられる容量がちと判らないので、どれだけの章まで発表できるかは不明。
 ではでは。

 隠し扉の見つけかたがわからない。そんな時代が私にもありました。
 魔法使いの「DETECT DOOR」を使っても無反応。というかこの呪文、使用条件が冒険中にも関らず、探索ではキャンプモードになってしまうのでへんだなー、とは思っていたのですが。
 ぐぐってみるまでわかりませんでしたよ、この野郎ぅ。


 宝箱を開けてるうちに、なんとなく貯ってきたのがお侍さんの武具。
「そうだ。メイドさんをつくろう*1
 これがものすごい名案のように思えてきて、そそくさときゃらくためいきんぐ。
 たんに「メイド」って名前をつけた女侍*2をつくっただけなんですが。


 しかし。なんですな。
 ただメイドさんってつけただけで、もんのすごい感情移入*3をしながらプレイできるこの摩訶不思議さよ。
 しかも、アレだ。エルフですよ、えるふ。ながみみながみみー。
 無銘の脇差と短刀+1でもって、寄るものあらばずんばらりんと。
 剣林弾雨を駆け抜けて、びぎなーずだんぢょんを踏破してみたり。


――

*1:正直な話、メイドスキーならば誰もが通る一里塚

*2:おんな侍→女侍→侍女→めいどさん。この発想展開に辿り着いたときにかみさまっているだな。と、思ったり

*3:ここじゅーよー。試験にでる

 おひさ。
 遂にねんがんの「うぃざーど・りい」に手を出してしまいました。戦闘監獄。
 儂が子供の時分、WIZは「はいすぺっくなぶるぢょわマシン*1」でしか動かない、羨望のステキげーむだったのですよ。
 ま、長い年月のあいだにはコンシューマやらGBAやらに移植されているらしいのですが。
 今回が初のWIZプレイだったりするのです。

 タダイマびぎなー向けだんぢょん地下二階を探索ちぅ。
 ここまでくるのに、早くもキャラろすとの洗礼を二度も三度も受けてしまったり。
 さすがに全滅こそありませんでしたが、それに近いだめーぢを受けてパーティもぼろぼろなのです。
 何度か死んだり生き返ったり昇天なんかしたりして、とりあえず生還率の高いパーティ編成を組むことに成功ぅ。

 前列:戦士 戦士 戦士
 後列:盗賊 僧侶 魔法使い

 戦士を削って短剣盗賊&弓盗賊にするか、ビショップを作って放り込みたい今日この頃。


――

*1:FDどらいぶがニ基もあるなんて、MSXゆーざーからみたらとてつもなくリッチだったのだ

 つい先日のことだが、はてなアンテナのグループ分類が、いきなり上限10件から最大100件まで増えてしまいました(有料制)。
 おいおいそりゃやりすぎですぜ、と思ったものの、以前より構想して断念していた「型月」かてごりを新規登録してみたり。
 まー、不安や懸念はイロイロとあるわけですよ。多岐ジャンルのSSや一次創作まで取り扱っているトコロとか、ちょっとした期間だけ型月画像を掲載しているトコロなんかをごった煮宜しく一緒くたに並べてしまっていいものかと。
 とりあえず、現段階では試用ってことで。
 手作業で、手間ヒマかけて書換中であります。


――